「英語の勉強」と「英会話」。上達方法はやっぱり違うから応用を。コツ3つ。某ラジオを聴いていて。

ついさっき、ラジオで英語関連の教育番組を聴いていました。「これができると、受験には有利なんだろうなぁ」なんて思いながら。今日は、「英語の勉強」と「英会話」の上達やコツの違いについて、あらためて実体験を交えて描いていきます。

昨日は下の記事を書きました。

●私もお世話になった、某ラジオの「英語」の勉強。こんなふうに応用すると「英会話」の上達につながります。

ついさっき、ネットラジオで某教育番組の「英語」を聴いていました。私も中学生のときにお世話になったラジオ番組です。講師の先生が一生懸命、文法と照らし合わせてお話になられている。ネイティブスピーカーによる正解文の読み上げと合わせて。

なつかしいなぁ、と思いつつ、遠い記憶のかなたからよみがえったのは(笑)、たしか中学生の私はこういう番組をきいていると、「いつか自分の『英会話」が上達する」、と思っていなかったか。

違うのですよ、残念ながら。多くのかたに取って。

今日も先生が「ではなになに、という言い回しを使って、なになにという文法でなになに、という意味の英語にしてみてください」とおっしゃいます。私も「あ、それならこんな言い回しはどうかな」なんて思いながら楽しく、わくわくと参加する(大の大人ですが)。

Shibuya "SKY"

わりとぴったしかんこん、で有頂天になったのもつかの間、「でもいま、頭で考えて答えたよね、あたし。先生のご質問に回答するかたちで。これが本当の会話ならこんなふうに頭使ってちゃ上達しないのよね」とあらためて、自分がこれまでブログで書き続けてきたことを再認識しました。

先生のご質問に対して、私も、そしてリスナーのかたがたもおそらく、頭で考えて、「こういう文章になるかな?」と思って答える。これは、「英語の勉強」としてはいいのです。大学受験やTOEICの勉強としても有効です。

上島の黒糖ミルクコーヒー

でも、一発で記憶に落とし込められる天才でもない限り、この「英語のいいまわし」を、自分の無意識の領域=潜在意識のレベル、までおとしこむ作業が必要なのです。

それがこのブログで私が何度も申し上げている、「声に出すことによる、反復練習」ということです。

ラジオだけではなく、テレビでも教育系の英語番組はあると思います。最近であれば、動画チャンネルもあるのでしょうか。

英会話の上達に結びつける、うまくいく「コツ」を今日は3つ、お伝えしますね。

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1) 音読で復習

2) 番組に、集中する。

3) 目的別に切り替える。

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横浜ありあけ菓子店の店内

1) 読み上げられた正解文を急いで書きとるか、テキストに書いてあるのならそれをまずみます。そして番組終了後からそれを日々、「声に出して練習」します。

注意点は、

「ゆっくり読むこと」

「文字を目で追うこと」

「放送中に読み上げられたネイティブスピーカーの声もできれば一緒に、再生する」

(音声も一緒に販売されていればそれを利用します。なければ、自分のやりやすいやりかたで、放送中に音声を録音します)

2) 番組の間中は、文法のことや慣用句などについて、先生のご説明に合わせて集中します。 この授業は「英語の勉強」です。その目的を忘れずに、授業に集中してください。

そうすると、文法のことや先生がおっしゃったこと、ネイティブスピーカーが言ったこと、などなど、さまざまなことが記憶に残ります。集中力という神様が人にあたえてくださったマジックを使って(!!)。神秘的ですよね。

そして、番組終了後、上記の1)を毎日、次の週の番組開始までにこつこつと繰り返します。このときに、集中力によって記憶に定着したさまざまなことが、英語で言う「vehicle」となって文章をまるまる覚える後押しをしてくれます。

だから、授業のときは、「頭」を使って文章を組み立てるという行為に集中していいのです。

新幹線(東京・浜松町駅にて)

3) 英語の勉強のときは英語の勉強、英会話を上達させる反復練習のときは反復練習、と頭を随時、切り替えます。ここが、中学生の私にはわからなかったところ。笑

私を含めた一般のかたにとっては、英語の勉強と英会話の上達方法は、べつものです。

ネイティブと現地で会話するときに、「時制の一致だから」とか「あの例文の言い回しの応用だから」とか、考えながらしゃべる余裕は、正直ありません。日本の英会話学校でネイティブの先生とやりとりしているのではないのですから。

元町Unionの駐車場

相手の言ったことに対して、無意識のレベルから言葉を引っ張り出してくるのが会話です。それは、日本語の会話でも同じ。もちろん、、TPOとか、相手を不愉快にさせない言い回し、気遣いを配慮する、ということで「頭を使う」のは万国共通ですが。

●「頭をからっぽにする」ということ。

そら

日本には受験勉強があるせいか、学校でも「頭をからっぽにする」ということがわりと軽んじられているような気がします。頭をからっぽにすることがむしろ、悪いことのように扱われている。つねに頭で考えることが求められているような。からっぽにしていいのは瞑想の時間ぐらい?

横浜港

むかしはどうだったかよくわかりませんが、今の時代は学校教育もクリエイティビティや表現力を磨くことの「価値」を認識しはじめていますよね。ダンスの授業があったり、作文や討論、プレゼンテーションの授業が行われるところも出てきたり。

ものごとにはそれぞれ、効果的なやりかたがあります。人それぞれに得意不得意があるように。ダンスもヒップホップやアニメーションダンスなどであれば、「リズム」を体全体で感じ取ったり、自分の動きとのシンクロ具合を感覚で確かめたりする必要があると思います。

横浜港

英会話もそれと同じです。

「英語の授業」、とくに文法の勉強や文章の構造の勉強、長文読解などは、「頭」で考える必要があります。頭を使ってじっくり、しくみやきまりごとの理由を考えたり、ときには分析したり。

でも、「しゃべれる語学」は、頭をからっぽにして、耳から入ってくる自分の声を感じ取ったり、ネイティブの音を感じ取ったりしなければなりません。なぜなら、現実のしゃべるシーンでは、人は頭をからっぽにして、相手の言うことや自分の感覚に集中するからです。

聞いたところでは、上記のダンス。先生によっては「ダンスなんて」と否定的な反応を示すかたもおられるとのこと。昔、ビートルズやロックが「不良の音楽」といわれた感覚に通じるのでしょうか?笑

頭をからっぽにして自分の感覚に正直になる。

学校教育ではこれまでさんざん、否定されてきたことが今、時代によって求められているのだとあらためて私も日々、感じています。

そのうち、「昔はダンスも英会話も「カレーライスにつく福神漬け」扱いの授業だったよね。いまやダンスと英会話がカレーライスで、そのほかは現実社会でAIに奪われちゃったから、そっちが福神漬けだね」なんていうことになるかもしれませんね。笑