今日の記事では、新卒で銀行員となり、以後、15年以上に渡って「サステナビリティ・ESG投資・気候変動・地球温暖化対策・環境CSR」に特化した専門翻訳会社を経営し続ける私・小山ケイが、この15年以上の間に仕事を通して見てきたことについて書いています。
このブログはいくつかのカテゴリー(メニュ)に分かれています。
今日の記事は「サステナビリティ・持続可能性/Sustainability」のカテゴリーで書きました。
私が取得した青学MBAや、米国留学(オレゴン大学)のこと、英語のプロとして書いた記事、などはそれぞれ、「働きながらMBA」「留学の思い出」「英語(潜在意識を味方につけて)」の別カテゴリーからご覧になれます。
●2004年4月。持続可能性(サステナビリティ)に特化した翻訳会社をひとりで設立(小山ケイ)。I established a translation firm in 2004 exclusively for “Sustainability/ESG/anti-GHG emissions and climate change/CSR (Corporate Social Responsibility).”
固定ページのプロフィール欄に書きましたが、私は自身の翻訳事務所を法人にしています。法人格にしてから現在で15年、たちました。
設立の目的は、「自分が得意とする翻訳を通して地球の持続可能性(サステナビリティ)や環境CSRを促進することに関わる」という強い思いからです。
いまでこそ、「サステナビリティ」(Sustainability)なんてカタカナは日本でもまったく珍しくなくなりましたが、私が会社を設立した15年前は、「なにそれ、サステナビリティって?」なんて聞かれたものです。
かっこよく言わせてもらえば、社会起業家Social Entrepreneurを目指していた、とも言えます。
まぁ、たいしたことはまだしてませんが。
15年の間にはいろんなことがありました。正直なところ、「持続可能性」をビジネスとして成立させていくことはいまの日本においてはまだまだ難しいです。
大規模に事業展開しているところはたいてい上場企業ですが、残念ながら、Excuseで取り組んでいるところが多いからです。
そして「活動家」と称されている人は、「これ」を仕事にしなくていい人が多い。未成年だったり、あるいは会社員だったり政治家だったり。つまり、この分野を「メシの種」にしなくていい人が多い。
私が自社の設立当初から寄付をしながら支持していた持続可能性を追求する某NPO法人は、それまで多数の上場企業の寄付金を受けていましたが、この8月に活動休止せざるをえない状況となりました。
リーマンショック(economic crisis in 2006)があったとたんあいついで寄付金が打ち切られたからです。
それゆえ、これからの持続可能性は、コーポレートなものとあまり関わらないほうがいいと私は思っています。
ひとりひとりの意思で、組織を離れて、持続可能性(サステナビリティ)を追求していく。
国連を含めて持続可能性(Sustainability)について語るといろいろなとらえ方や可能性があると思いますが、私にとっての持続可能性の基本は、農業であり漁業であり林業です。第一次産業です。
このあたりのことも含めて、「サステナビリティ/持続可能性 (Sustainability)」のカテゴリーでは、持続可能性や環境CSRに関する考察や、可能性、ひろがり、などについて書いていこうと思います。
私の名刺の一番うえには、「For the sustainable globe」と書いてあります。いまのいままで、これに気づいて、「共感した」とおっしゃってくださったかたはひとりもおりません。
でも、私の座右の銘は「捨てる神あれば拾う神あり」。
ネット社会で、世界中でつながることができるネット社会で、きっと拾ってくださる神様がおられる、と信じて、しこしこと、書いてまいります。
地球という球体で、地球市民の一員として、持続可能性がどんなふうにひろがっていくのか。ビジネスとしての可能性はあるのか。
「持続可能性というビジネスの持続可能性」。
Sustainability of sustainability-related business.
For the sustainable globe from Japan
by Kay Koyama