【留学のコツ】「オープンになろう」「Yes/Noはっきり言おう」の謎

今日の記事は、
母校の青学から単位を持って米国大学へ編入学してを卒業した私・小山ケイが、日本でよく耳にして、私が「いやそれは違うな」や「補足がいるのでは」と思うことを書いていきます。
表面的なことよりその背景にある「なぜ?]や分析です。
●「米国留学ではオープンになろう!」
●「Yes/No、はっきり言おう!」
昨日の記事は、以下のサイトからご覧になれます。 



●「米国留学ではオープンになろう!」の謎。

下田の日の出
Sunrise at Shimoda, Shizuoka, Japan (photo by Kay Koyama)

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よく耳にするアドバイスです。使うかたは「心をオープンにすればなんでも乗り切れる」、というような意味で言われるのだと思います。

でも私のように複雑な心を持つ人間は、「オープンになれない」ときもあります。

オレゴン大学で言語学(Linguistic)を受講したとき、ひとには、「Positive face」と「Negative face」という2つの「顔」があることを教えてもらいました。

Positive faceは”everybody welcome!”な状態のときで(笑)、たとえば大学教授がOffice hourに学生を待っているいるようなときです。

反対に、Negative faceはOffice hourではない時間に、研究室のドアがノックされて、「あれ、Office hourじゃないのに尋ねてくるなんて誰なんだ」と否定的な気持ちになって扉を開けるのを躊躇するような状態のときなのだそう。

あるいは、自分の体調がすぐれないときに精神的なエネルギーを要することに誘われたり、参加しなければならないとき、なども「Negative face」が現れる瞬間かもしれません。

大切な人を亡くして悲しみにくれているときに知らない人ばかりが来るパーティに誘われたときとか。

どんなときも、「オープンに!」、positive faceを出していられる人はそう多くはないはずです。大人であればあるほど。当の米国人ですら、そうべらべらと自分のプライベートなことを「オープンに」話すわけじゃない。

おそらく、「オープンになろう!」と使っているかたは本当はこういうことを言いたいんじゃないかな。

「国も、文化も、人種や民族も違ううえに、米国では「外国人」である日本人が米国で留学生として生活するのであれば、心を開いて「声」を出していけば、それにこたえてくれるひとはかならず、いるよ」

今日は私からさらに、「こんな心もちでいくとさらに留学生活が充実しますよ」ということをお伝えしますね。

こっちが外国人なのだから、現地の人たちに頭を下げながら助けてもらう、というような気持ちで接していけば、留学は成功します。

(さっきネットで有名雑誌のコラムを読んでたら日本人が米国で「外国式に」ハグした、なんて書いてありました。米国人からみたら、日本式やりかたのほうが外国式、だよね。笑)

たとえばアメリカ人の同級生であれば、わからない言葉を「頭を下げて」教えてもらったり、「頭を下げて」話にまぜてもらったり、「頭を下げて」米国文化を教えてもらったり。

卑屈な感じ?

でもオープンになることの意味って、そういうことですよね。自分のことをべらべら話すのではなく、心を開いて、相手の文化や言葉を学ぼう、と謙虚な気持ちになること。

これこそ「オープン」の本当の意味だと思います。

おたがいに人として、心をどれだけ通わせられるか。 どれだけ相手と感情を共有できるか。頭を下げる=感謝をする、というときもある。

「オープンになる」という言葉は、能天気に誰とでもべらべら話す、というようなニュアンスがあります。

それが心の負担になってしまわないか、と私には心配になったので書いてみました。

アホじゃないんだからねぇ。笑

気の合う、合わない、だってあるんだし。人間なんだから。そんなの、当然です。米国留学を心から成功させたい、充実させたい、と思っている若いかたの力になればさいわいです。

●「Yes/No、はっきり言おう!」

Madonnna
Queen of Pop on an advertisement billboard

これもよく聞くことです。でも英語でも婉曲な言い回しはあるんですよ。無理して嘘をつく必要はないですが、相手に対して失礼かな、と思うときは相手を傷つけない言い回しを考えます。

人はなに人であっても、好意から申し出たことに対して「No」とひとことで拒絶されれば一瞬、「え?」と思うのは当然です。そこに枕詞があったり、フォローの言葉が添えられたりするのは万国共通だと思います。

「Yes/No、はっきり言おう!」と言うかたはきっと、「あいまいな返事、自分の希望をにごすような返答は誤解されますよ」ということを伝えたいのかもしれませんね。

このブログで私が以前、お伝えしたように、米国文化のような「低コンテキスト社会」は行間や言葉の額面以外の隠喩、みたいなものが日本語よりは少ないです。(もちろんまったくないわけではないですが)

断りたいときは”Thank you, but”と添えたり、「自分」が都合悪いこと、として伝えると良いときがあります。

I don’t have enough time.

I have to study.

●感情に根差した言葉を使う。

それから、論理性や合理性にもとづいた難しい言葉よりも、感情に根差した言葉を使うと共感性が得られることがある点も万国共通です。

ひとはいつの時代も感情の動物だから、でしょうか。

I’m happy.

I’m excited

I was so shocked

I was moved

I’m impressed

I’m grateful

I’m disappointed

もし、

1)なんと現地の言葉いったらよいか分からないときや、

2)相手と心理的な距離を縮めたいとき、

3)誤解を与えそうだと思ったときは、

感情に根差した表現」を探してみるといいですよ。理解してもらいやすかったり共感を得られやすかったりします。

基本は、人 対 人。

人との出逢いはかけがえのない宝となることがあります。若いうちこそ、お金では買えない「財産」を留学で築いてくださいね。

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