今日の記事は、1月1日に書いた下の記事から「神社仏閣へ定期的に行ってみる」ことについて書いています。
(我が母校青山学院の駅伝チームOB森田くん、下田くん、一色くん、林くん等々が就職したGMO社です!私がひそかに応援してきた島貫温太くん(帝京大)もGMOチームへの参加が決まりました!やった。実業団からも目が離せなくなります)
●神社仏閣へ行ってみる。定期的に。お礼参りです。
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なんどもこのブログで書いてますが、無宗教でいいのです。神社仏閣などへ定期的に行くのは、「つねになにかに守られていることに感謝を表す」ということ。なぜか。自分が感謝を「心から感じる」ことで自分の良い行動を促すからです。無意識という潜在意識に働きかけて。
★崇高な存在に守られている自分
★ご先祖様に守られている自分
★すでに故人となったかたがたに守られている自分
★父母、家族に守られている自分
★友人たちに守られている自分。
★コミュニティや社会に守られている自分。
神秘的ですらあります。感謝を感じると、自分の気持ちがおだやかに、ゆったりと、肯定的になるのが分かります。すると、たとえば、煮詰まっていた案件のアイデアがふっと降ってきたり、人間関係や人との複雑な問題の良い解決策が見えたり、ビジネスや研究、勉強の最善のものがなんとなく感じられたりするのです。
●崇高な存在に守られている自分
もちろん、熱心な宗教家のかたにはそれは当然のことかもしれません。けれど、いわゆる無宗教の私を含めた大多数のかたたち(たとえ生まれた時に洗礼を受けているとしても、大人になってからは教会にほとんど行かない一方でヨガをしたり禅の瞑想を生活に取り入れているような西洋人も含めますよ)も、崇高な存在に守られている、と感じるできごとにはたびたび出会っているはずです。
命拾いしたり、虫の知らせに従って行動したらそれが正解だったとか、生き別れになっていたひとと不思議なめぐりあわせで会えたとか。
それはよくよく見ていくと、無意識の領域の潜在意識のなせるわざであることは多いですが、潜在意識そのものはやはり、崇高な存在とつながっているしか思えない。自分が感謝を感じるほどにこの領域がどんどん、活性化して深化していくのがわかります。
それが証拠に、たとえばスポーツや勉強でうまくいかなくて「くそったれ」と毒づくと、ますますドツボにはまります。笑 身も心も固くなるからでしょうね、きっと。
潜在意識は、天や神様、宇宙からの人間に対する贈り物なのです。
●ご先祖様に守られている自分
私は霊感がまったく強くありませんので「ご先祖様の姿」は見えません。けれど、自分の中にはご先祖様のDNAが入っていることは知っています(当たり前ですが・・・)。うちの祖先はわりと健康で、大病するような家系ではありません。
農民や教育者(学校の先生や校長先生)が多かったようです。それゆえ、質素な生活ながらも足腰はしっかりとしていたもよう。それは私にも受け継がれています。
「子孫が苦しまないように。子孫も末永く元気で幸せに過ごせるよう」
暴飲暴食せずに酒もたしなむ程度。そしてほどよく運動してDNAを傷つけない。「ご先祖様のご加護」というと、あの世のご先祖様がふわっと空中に浮かんでHUGでもしてくれているようなイメージ(笑)ですが、それよりも、いまの自分の健康やあるいは豊かさ(資産家や土地持ちのうちの人とか)がご先祖様によってもたらされた、ととらえるほうがより、リアルじゃないかなと私は思います。
●すでに故人となられているかたたちに守られている自分
そのかたたちとは血のつながりがなかろうとも、故人となられているかたたちのご尽力によってインフラが整備されたり治安が良くなったり食環境が良くなったりします。科学技術やサービス・製品、医療だってそうです。
「未来の国民(市民)がよりよい生活を送れるよう。より良い国(地域)に住めるよう」
無名であってもたくさんのかたのご尽力によって自分は支えられている。プロジェクトXとかプロフェッショナルとかにでてくるようなかたたちによって・・・。
それを意識するほどに、「では自分は次の世代にどうバトンタッチしていくか。なにを残していくか。何がやれるか」と思わざるを得ない。もらいっぱなしはやっぱり、なんか後ろめたい。
それが昨今はやりの「バックキャスティング」にもつながってくんじゃないのかな。持続可能な未来のバックキャスティング。
●父母、家族、友人に守られている自分
いま、自分と同じく、この世で生きている人たちにも、自分を日々、「守ってくれている」人たちがいます。そのかたたちのおかげで、安心感が得られたり、日々を楽しく過ごせたり、悩みを打ち明けられたり。
心身の健康を保つことで、自分の能力がさらに開花されます。
●コミュニティ・社会に守られている自分
治安や地域の安全があって安心して生活できる。あるいは、何かあったときの声掛けや行政のかかわりもあります。
それはもちろん、自分だけではない。自分の家族についてもそうです。
コミュニティ・社会によって子どもを育てる力添えがあったり、年老いた親に対する支援があったりもします。それらがあってこそ、自分も仕事をしたりやらなければならない他のことをやったりすることもあるかもしれない。
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