小山ケイの人生ドリル36-人に少しでもインスピレーションを与えることを意識してみる。

今日の記事では、人にインスピレーションを与えることの大切さについて書いています。

<もくじ>
●人にインスピレーションを与えることを意識してみる。
●どういうことがインスピレーションとなりえるか。

このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事は「徒然なるままにひぐらし」のカテゴリーで人生ドリルシリーズとして書きました。前回、同じカテゴリーでは下の記事を書いています。

こちらは昨日書いた記事です。

●人にインスピレーションを与えることを意識してみる。

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以前このブログで私は「人にインスピレーションを与える人間になろう」と書きました。

  小山ケイ過去記事】人にインスピレーションを与える人間になろう!

 

何度かこのブログで書いているように、私はいわゆるSNSはほとんどやりません。話題になっている面白い発言や拡散すると他のかたにとってもきっといい情報かもしれないと自分が思えるものは「勝手連」で拡散や引用させていただいていますが、それもまれです。

理由はインスピレーションがあまり得られないからです。そしてそれはネットにある評論家さん(自称)や学者先生のコラムや記事にしてもそうです。昨日もコロナウイルスについて調べていたら、ある学者先生のご意見記事が1ページ目に出てきました。

読むと、「芸能人が歌いながら手洗いばかりを推奨していてちゃんちゃらおかしい」とか「8割おじさんは低く見積もってる」とか「8割おじさん」という言葉がいきなり出てきたりで結局、最後の最後のページ(6ページ目ぐらい)になってようやく「アルコール消毒も対策として強調しないといかん」という一般的に言われているごくあたりまえのことが書かれている。

(あとから自分で調べて、感染症がご専門の北大・西浦先生に対して「8割おじさん」とSNSでニックネームがついたと知る次第。いま現在病院でコロナウイルスの治療にあたっている医療現場のかたたちにも「8割おじさん」といきなり切り出して通じるんでしょうか?)、

6ページをかけてこれがいちばんおっしゃりたいことなんだろか、とひどく頭が痛くなってしまいました(本当に頭痛薬を2粒飲んだのですよ。筆者によるふりまわしと他人に対する批判の多さと斜めに構えた文体のせいだと思います)。

こんなふうにもやもやとしたとき、私は母校・青学のビジネススクールに通っていたときに同級生が授業中に発言した言葉が思い出されます。博士課程の人たちと一緒に受けられる、博士課程の研究そのものに関する授業でした。

「その研究、社会にどんな役に立つんですか?」

ネットでの発言も同じだと思います。とくに研究者のかた。その発言、原稿が社会にいったいどんなメリットを与えてくれるのか。昨日私に頭痛を引き起こした先生の記事からこえてきたのは私がよく言う「ノイズ」ばかりでした

「俺の話を聴け」(CKBの歌じゃないですよ)

「俺はこんなに頭がいいんだ」

「おまえら世の中の下々(しもじも)は俺の考えに従ってればいい」

「前提なんて説明してやる必要ねぇだろ。知ってて当然」

ご本人にはそのつもりがなかったとしても私にはそんなノイズが聞こえてきました。たとえば、博識なのはわかるけれど、読み手にイタコされずに前提の説明が皆無なので(上記の「8割おじさん」もしかり)、文章があっちこっちに飛んでいる印象で読みづらい。実際、そのかたの数々の本に対するAmazonの書評でも「取っ散らかってる」「いきなりなになにという話がでてきて戸惑う」などとレビューで書かれていたり。私と似たり寄ったりの感想だわと思いました。

少なくとも私はこの記事からはなんのインスピレーションも得られなかったです(頭痛は得たけれど、頭痛はインスピレーションじゃないです)。つまり、目新しいことがなかったということ。コロナウイルス対策や状況がどうなのかより詳しい情報が知りたくて調べたのですが、こういう記事が1ページめにでてくるようでは、Googleさんはまだ本物の「神」じゃないですね。SEO対策しているかたたちの間では「Google神」とよく言われるのですが。

Google Japan in Shibuya, Tokyo

社会や人にインスピレーションを与えられる人は人からもインスピレーションを得られやすい。そうしてそのひとのまわりには新しい良い方法やアイデア、それを生み出そうとする創造性あるエネルギッシュなパワーが集まり始めます。好循環のうねりです。

私の言いたいことは、ひとにインスピレーションを与えるということ。相乗効果としてもいい。インスピレーションとは「ああなるほどね!」という共感や「あ、それならこんなこと思いついた」というひらめきです。

インスピレーションのなにがいいかというと、自分が楽しいというミクロレベルはもちろんのこと、マクロレベルでは社会にいろんなことをもたらすということです。画期的で革新的な新ビジネスだったり、社会性あるサービスだったり。そうして社会が高みを目指して改善されていく。

だから少しでも人にインスピレーションを与えることをひとりひとりが人生ドリルとして意識する必要が出てくるのです。社会人となって生きるのであれば。

上記の先生は私よりも年上のかたでしたが、お書きになったものから私はインスピレーションが得られなかったです。一方的に意見を押し付けられて終わってしまいました。要するに「つまんない内容」。残念です。

●どういうことがインスピレーションとなりえるか。

人の批判にあけくれていてはインスピレーションは与えられない。もちろん、人の意見への賛成の表明は大切ですが、プラスアルファーがほしい。

社会に対する情報です。その情報によって社会の人たちが役立つような。それこそインスピレーションだと私は思います。

1) たとえばコロナウイルス対策であれば、専門家をはじめとする他人の批判をするよりも「こんな方法を自分は実践しています。そしてこんな効果がありました。海外事例ではこんなことが書いてありました。出典はここです。あるいはこの媒体です。これは日本の方にとっても役に立つと思います」という、レアで専門性ある情報を提供する。

2) 「アルコール消毒はすごくいいと思います」というなら、「具体的にはこういうふうにしたらいいと思います。手の動作はこういうふうにします」「どういう成分が入っている除菌スプレーがいいです」「スプレーとジェル、シート、どれが効果的か、実際に調べてみました」「手に入る場所はここです」など。自分の体を張る。「手洗いの歌をMTVで強調する芸能人はアルコール消毒のことをもっと強調すべき」というのであれば。

3) 言葉を補足する。舌足らずにならずに。「8割おじさん、とはSNSをやっていない人にはわからないかもしれませんが、専門家委員会の北大・西浦先生に対するSNS上のニックネームです。おもに若者が使ってます」。舌足らずは不親切に聞こえる。

 

4) マスクがどこで手に入るか、裏技を教える。作り方でもいい。YouTubeなどで作り方を説明してくれているかたがいらっしゃいますよね。インスピレーションとクリエイティビティあふれる動画だと思います。

5) 自分の専門性をどう社会に役立てていくか。とくにネットやSNSで発言するのであれば、その視点は見失ってはいけないと思います。学者ならなおさら。SNS文化に迎合している時間があるなら学者魂(がくしゃだましい)をみせてほしい。

 

*先日お伝えした、ノーベル賞受賞者で京大教授である山中伸弥先生のコロナウイルス対策情報発信サイトを私もときどき拝見しています。

https://covid19-yamanaka.com/  

そこに、Harverd大学による論文のURLが情報として掲載されていたので私もいま現在、読んでいるところです。よろしければどうぞ。

https://science.sciencemag.org/content/early/2020/04/14/science.abb5793

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1年前のちょうど今日、この記事を書きました。