今日の記事では、母校の青学から単位をもって米国オレゴン大学へ編入学して卒業し、15年以上に渡って「サステナビリティ・ESG・気候変動」などに特化した専門翻訳会社を経営しながら再び青学(大学院)へ戻ってMBA(修士号)を取得した私・小山ケイが、人生ドリルシリーズとして「人間関係は意識的に意図的にかかわってみる」ということについて書いています。
<もくじ>
●小山ケイの人生ドリル116 -「人間関係でもみくちゃにされてみる。笑 意識的に。意図的に」
●意識的に、意図的に、人間関係に入って行ってみる。
●人間関係を意識的に意図的に経験しておくことがなぜいいのか。
このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事は「徒然なるままにひぐらし。」のカテゴリーで書きました。同じカテゴリーの過去記事は下からご覧になれます。
●小山ケイの人生ドリル115 – 人間関係でもみくちゃにされてみる。笑 意識的に。意図的に。
[the_ad_placement id=”%e8%a8%98%e4%ba%8b%e6%9c%80%e5%89%8d%e5%88%97″]
私が長年生きてきて得た回答として、「人間関係ほど自分を鍛えてくれるものはない」ということ。
宗教家には怒られそうですが、人里離れた山奥深くにこもって修業をするよりも、世俗の人間関係で切磋琢磨するほうが、人生ドリルとして自分の魂(たましい)はうんと鍛えられます。
ほんっと、いろんな人いますから。
(いまたくさんの人がうなづいてくれました。笑)
もみくちゃにされると、自分の免疫力がつきます。
まるで、コロナに対するワクチンみたい。
今日はそのことについて書いていこうと思います。
*************************
この世は自分と、自分以外の人とで成り立っています。
人と人が相対すれば、人間関係ができる。
私もどちらかというと人見知りするほうですが、「いい年こいて『あたし人見知りしますぅ』はないだろ」と自分を鼓舞しながら(大笑)、できるだけ人間関係のなかに入っていくようにしています。
経験値をつんだせいか、10代のころよりはおかげさまでうんと楽しい人間関係が作れるようにはなりました。
私の中では人間関係はおおきく二種類に分けられます。
1) 浅く広くでもいいからつきあうといい人間関係
2) フェードアウトしたほうがいい人間関係。
前者はイメージ沸きやすいかもしれません。
後者は、自分にとってマイナスとなりえる関係。
わりと多くの人が振り回されるのが後者だと思います。
たとえ、仲良しグループのお友だちだったとしても。
自分でもしらないうちに、マイナスの影響を受けていたりする。
1) できるだけかかわっていったほうがいい人間関係。
【わかりやすい例】
◆自分に好意や愛を注いでくれる人。
◆自分の良いところをみるようにしてくれている人。
◆ 高い志の人。
◆聞き上手。
【さいしょは「?」「!」「(ひたいに)#」かもしないけれど、実はここが一番、自分のレベルを高めてくれる人生ドリル・難問編】
◆言い方はきつい。でも言ってることは、しごくまっとう。あるいは教えてくれることがたくさん。
◆反面教師。
◆自分とは正反対。でもお互いにインスピレーションを与え合える友。
→ Chemistryがすごい・・・。
◆一緒に関わっている分野(仕事であれば仕事、習い事であれば習い事)をとにかく熟知している人間。→ ただし、条件をつけてきたりハラスメントがある関係性は即、切り捨てる。パワハラ、セクハラ、高額な金銭を要求される、など。
2) フェードアウトしたほうがいい人間関係。人生ドリルとして。
◆自分の成長にはちっとも役に立たない。
→ 「なんかいいことないかなぁ」と待ちの姿勢の人たち。つるんでいてもいいことありません。エネルギーが停滞するばかり。
◆人の悪口、あらさがしばかりしている人間。
◆なんかネガティブなエネルギーを送ってくる人間
→ あなたはいいわねぇ。あなたはかわいそうな人ねぇ。あなたをとっても心配しています、など。ホントにあたしのこと心配ならすっ飛んでこいよ、と言いたくなる関係です。大笑
◆こっちが利用されるだけの人間。
→ 長年関わっていて、通訳・翻訳をタダでさせられたり、人集めのための頭数扱いはされど、その人からはただの一度も人の紹介を受けない、仕事の紹介もない、ついでに、ごちそういただくこともない(笑)人間。つまり、この関係性からは「ヒト・モノ・カネ」がまったく生まれてこない。
◆マウンティングしてくる人間。
◆意味不明な組織の力学(たとえば、ブラック企業の人間関係など)。
→ 自分が消耗させられるだけです。
●意識的に、意図的に、人間関係に入って行ってみる。
ここからが、具体例です。
山里の修行だけでは得られない、人間関係という人生ドリルのだいご味といえます。
【私・小山ケイが考える(あるいは実践している)人間関係】
1) 副業・兼業をして、そこで人間関係を作ってみる。
2) ボランティア活動。
3) 職場。
4) 家族関係(とおくの親戚も)。→ 上記の2種類を見極める練習にもなります。
5) 習い事をしてみる。
6) 町内会。
7) 地域社会に入っていく。
8) 行きつけの店を作る。
9) 行った先でできるだけ、話しかける。→ 店員、道端の人、駅の人。
10) 違う世代と意識的にかかわる。かかわれる場を探して、そこへ、出向く。
11) 学校へ通う。
12) 組織に入れば、「違う組織」を意識して、そこへ飛び込む。
→ 会社であれば、違う部門、違う部署、違う支店、取引先、違う入社年度。
学校であれば、違うクラス、違う学年。先生。
部活であれば、違うパート、違う部門、違う学年、違う学校。
13) 住む場所を変えてみる。引っ越す。
→ ちなみに私・小山ケイ、日本の四州と関わってきました。
北海道と本州(東北を含む)には数年に渡って住み、祖先は四国と九州から。
米国にも数年住みました。
14) 可能であれば、できるだけ立場の違う人と出会うようにしてみる。
→ 会社員であれば、フリーランサーや大学教授、会社経営者、客商売・接客業の人、パート・アルバイト、学生、老人など。
15) 可能であれば、母国以外で数年以上に渡って住んでみる。
●人間関係を意識的に意図的に経験しておくことがなぜいいのか。
上記のように、とにかく「世の中にはいろんな人がいる」ということが分かります。
ほんとにいろんな人。
自分と合う人。自分と合わない人。
共感できる人。意味不明な行動に出る人。
そして、経験値が上がる。
自分がAIのごとく、ディープラーニングするから。
「ああこの手のタイプがまた目の前に現れた。そしたらこうこうこういう対処法であたればいい」と。
あるいは「この手のタイプはこれこれこういう人」だとも分かる。
年齢を経て人間関係を経験するごとに、自分とは毛色の違う人間が目の前に現れてもあまり動じなくなります。
対処法が自分のなかにたくさんあるから。
そして、相手から何が学べるのか、知ろうとするから。
人生ドリルとして。
だから、私から若い子、若い人へおすすめするのは、「人間関係という表題の付いた人生ドリルは、できるだけ飛ばさずにゆっくり、じっくり、解いていってみて」ということです。
以下は、これまでのながーいながい私の人生のなかで出会った人たち。
私の対処法はこんな感じです。
ご参考までに。
【小山ケイが人生で出会った人たちと私の付き合い方。人生ドリルの解き方として】
人間その1】 前世は戦国武将なのか、とにかく自分が目立たないと気が済まない。自分中心に話をする。マウントする。大勢が講演者なり発表者なりの話をじっくりと聞いているさなかにも、なぜか意味不明な場所で大声で「あっははー」ととつぜん笑う。講演者なり発表者なりとタイマンで話をしているかのように、「ああわかりますわかります!」と大声で合いの手を入れる。
→ ある私的勉強会に参加していた人でした。最初は彼女の巨大なエネルギーに振り回され、とにかく影響を受けまくりました。
まわりもわけがわからない。「目立つ人だよね」「帰国子女みたいだよね(失礼ながら・・・)」などとささやきあっていました。
でも次第に私も、彼女が「ノイズ」であることに気づけたので、適度な距離を取ることができました。彼女の言っていることに中身があまりないことや、「私に愛をそそいでくれているわけではまったくない(笑)」「私の成長にはちっとも役に立たない。振り回されて、利用されるだけ」だからです。
彼女のエネルギーに引きずり回されてでもつきあう利点や必要性は正直、まったくなかった。
彼女との距離の取り方については、このブログで何度かふれています。
いちばん効き目の会った対処法、つまり「人生ドリルの回答」は、「彼女の前世は戦国武将だから、と思い込むこと」。大笑
人間その2】言うことが細かく、不平不満が多い。他人の間違いや自分の意にそぐわないことをちくいち、指摘する(陰口として)。
たとえば。
トイレの紙を「エチケット折り」と言われる三角に折る折り方があります。
高級ホテルなどでも、「清掃おわりました」の印として折りますよね。
あれが不潔だという。
うちのおばーさんもそうでした。「ヘルパーさん、あたしはその折り方がきらいなので三角に折るのはやめてください」とトイレに張り紙してました。笑
人間その2さんの言い分は、「このコロナの時代、次の人が使う部分を自分の手で触れて折る神経が信じられない」とのこと。
礼儀正しいところもある人ですが、つきあうほどに、この人には想像力が欠落することがある、という回答になりました。私の人生ドリルでは。
さらに。
不平不満はネガティブな波動です。
私にはなんの利点ももたらさない。
不平不満があるなら、まずは自分で行動しつつ、それを聴かされる他人の立場を想像すればいい。「ああ、これは自分の問題だわ。自分がまずはなんとかしないと。それをせずにまわりにちくいち、言い続けるのは、彼女・彼の時間とエネルギーを奪うことだわ」。
よって、上手に距離をとりながら、「右に入れて左に流す」ことにしました。
彼女と人間関係というドリルでご一緒することで、「ほんといろんな人がいるんだわぁ」とつくづく感じましたね。
人間その3】マウントし、意味不明に振り回すことで「自分の優位性」を体現しようとする年下君・年下さんたち。
だれ、ということではないのですが、こういう人、わりと多いですよ。
お気づきになられているかたも多いんじゃないかな。
中年になるにつれて私もわかりました。
彼らが私の目の前に現れ始めたからです。
私がぺーぺーの若い新卒社員であれば、私以外の人はほとんどが年上でした。でも、中年になったいま、私の下には立派な大人もたくさんいますし、弁のたつ学生もいる。
そうすると、たとえばの話、私のあらさがしをとにかく一生懸命試みて、少しでも間違いがあれば「小山さん、ここ間違ってます」とずばり、指摘してくる。
間違いは間違いだから、「ああ、すみません」としかいいようがない。
でも、同じ間違いを自分もしていたりする。大笑
そして、それには目をつむる。自分が、です。
謝罪した時点で立場としては私のほうが「下」になりますよね。
これがちょくちょく繰り返されるのです。
子どもが親にそれをよく試みます。
論理性が破綻しているときもある。
自分が言ったことに対してこちらが同調すると、「いやそれはおかしいでしょ」みたいなことを言う。最初に言ったのはアナタでしょ。笑
裏を返すと、「自分よりも立場も経験も上(そして場合によってはデキる)」の目上や年上の人間には挑戦を試みることで、自分が脅威に感じていることや恐怖感を少しでも和らげたい、ということなのかもしれませんね。
いいところもあるので、人間その3さんたちとは、あたりさわりなく付き合いながら、いいところは吸収させていただく、という回答になりました。私の人生ドリルでは。
[the_ad_placement id=”%e8%a8%98%e4%ba%8b%e6%9c%80%e5%89%8d%e5%88%97″]