【MBA】成績以上に大切なものがある。それが大人のビジネススクールである。 By 小山ケイ

⚫︎【MBA】成績以上に大切なものがある。それが大人のビジネススクールである。 By 小山ケイ

私が母国青学のビジネススクール(大学院)にMBAを取りに行っていたとき、ある教授がこんなことを言いました。

「成績を気にしてそれについて私に聞いてきたり、ネットやSNSで流されている『好成績が簡単にもらえる授業』みたいのを利用して受講する授業を決める学生もいる。でもそこじゃないだろ。MBAは」

はっきりとした意見を言う先生で、クセがない、と言ったらウソですが、私はそのときの先生の意見には大いに賛同したものです。なにしろ私は、このブログでも書いたのですが、自分の成績を卒業式の数日前まで一度たりとて確認したことがない(!!)人間でした。

「いやあ、そんなん当たり前っすよね、センセ。なんで逐一確認すんのかなぁと思いましたもん。あたしも」(と、心の中で賛同)

高校生の内申書のように、さらにその先の博士課程や他の大学院に行くために青学MBAを取りにきてるのなら分かります。でも私は違いました。

私にとってビジネススクールに通学してMBAを取る意義は、成績みたいなちゃち、、、基、人為的な数字では表せない大きな価値がありました。

⭐️他の受講生の意見が聞ける。

⭐️実務派の教授陣から「知」を共有してもらえる。

⭐️自分を見つめる機会を与えてもらえる。

⭐️得手不得手が分かる。

⭐️学問を体系的に学べる。つまり、「学問のショートカット」。→自分で1一から研究しようとしたら、結果を得る前に寿命尽きてしまいます。

⭐️グループワークで自分以外の人間との折り合いのつけ方を実践できる。

⭐️さまざまな業界のことを教えてもらえる。

⭐️ネットワーキングできる。

⭐️たとえ成績は「不可」になろうとも、これまで自分が全く経験したことのない分野の学問を勉強できる。全員をまずはならすことが大前提なので。ビジネススクールは。

⚫︎大人のビジネススクールの価値や存在そのものって、なんだろう?

⭐️手をあげてなんぼ(MBAコースのクラスで大勢の前で手を挙げて発言するのは至極当然のことであり、それが求められるのがビジネススクールである)。→よって、誰もがまずは「自分の立ち位置」を表明することになる。「隣は何をする人ぞ」ではなく。

⭐️会社や所属組織の役職に関係なく、いち学生として扱われる。→ボコボコにされたり肩書きがまったく通じない事態に遭遇することもある。それに不甲斐なさや苛立ちを感じるのであれば、自分を見つめなおすチャンスである。

⭐️組織社会から抜け出して「我(われ)」を取り戻す場所である。→日本の組織社会について私はたびたび記事を書きました。相対的な縛りや序列があるのが日本の組織社会。大人のビジネススクールはひたすら「個」の意思と知が有機的につながることが求められるため、そのつながりに自身が所属する組織社会の縛りやルールを持ち込む人間は自然淘汰されるか孤立する憂いに遭う。