Embrace
今日の記事では、母校の青学から単位を持って米国大学へ編入学して卒業し、15年以上に渡って「サステナビリティ・ESG・気候変動」などに特化した専門翻訳会社を経営しながら再度、母校の青学(大学院)へ入ってMBAを取得した私・小山ケイが、言葉に対する自身の思い出について書いていきます。
<もくじ>
●Embrace ー 小山ケイの「言葉の思い出」7
●”Embrace””の発音。
このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事は「徒然なるままにひぐらし。」のカテゴリーで書きました。同じカテゴリーの過去記事は下からご覧になれます。
(小山ケイ:港区赤坂5の5の9 1F MBE114 )
Embrace – 小山ケイの言葉の思い出7
米国大学に留学していたころ、History of Jazzという授業を受講しました。
School of Music学科がていきょうする授業です。
そのときにならったのが、エラ・フィッツジェラルドの”Embracable You.
エラの甘くハスキーなアルトボイスを聴いていると、エラが大切な誰かを抱きしめているイメージが私の中に強烈に浮かんできました。、
体温と湿度を感じさせる包容。
官能的に。
あるいはスピリチュアルに。
「大丈夫よ」と。
「大好きよ」と。
その人の存在そのものを抱きしめているイメージ。
それはHugではありませんでした。
あいさつ代わりにもなるHugに明るさはあるけれど、湿度やスピリチュアルな映像はない。
お互いに服を着たまま、服を介在に抱きしめあっているイメージがHug。
陰陽の「陰」もない。
でも“Embrace”は、私の中では陰陽 (Yin-Yan) です。
クリムト (Klimt) の「接吻 The (Kiss)」のような。
まぁるい円のなかで、すべてがバランスよく存在している。
宇宙のなかで。
“Embrace”に可能性を表す”able”がついて、”Embraceable.”
それ以来、私が”Embrace”という英単語を耳にすると、両手を羽根のように大きくひろげて、誰かをそのまままるごと、しっかりと抱きしめる映像が瞬時に浮かびます。
頬ずりでもしながら。
自分の体温が相手に伝わるくらい。
As I hear the word “Embrace,” the image of “Yin-Yan” comes up to my mind as if two parties held each other spiritually in the balance or unity of “Universe.- Kay Koyama.
●”Embrac”の発音。
1) エン
2) 「B」
3) 「Rei」
4) 「S」
5) エン + 「B」 + 「Rei」 + 「S」
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