⚫︎苦しいことは「神からの試し」。 ー小山ケイの人生ドリル
10年以上まえ、「ザ、シークレット」という本がベストセラーになりました。
その作者に影響を与えたとされるのが、Neville Goddard。本の中でも何度も引用されてます。
ヘビーYouTubeeの私のホーム画面にも、いつしかGoddar氏の動画(英語)が載ってくるようになりました笑。毎日「スピードラーニング」ばりに(?)流してます。
その中で、「アブラハムの逸話 (Anecdote of Abraham)」があります。「なるほど!」と私はとても納得しましね。
聖書にあまり馴染みのないかたにはピンとこないと思います。
アブラハムの逸話とは、旧約聖書に書かれている話で、神がアブラハムの信仰心を試すというもの。私の記憶違いでなければたしか、アブラハムには年老いてから出来たイサクという息子がいるのですが、その最愛の息子を神は生贄(いけにえ)として捧げるようお告げになるのです。
→ 余談ですが、こういうところに、中東と日本の文化の違いを私はとても感じます。自然に恵まれ、その中で日々、食物をはじめとする衣食住が与えられた日本の祖先たちと、過酷な自然状況の中で、絶対的な存在に服従することで生きながらえてきた中東の祖先たち。
アブラハムは苦しみながらも、神への絶対的服従の信仰心を捨てることなく、何も知らせずにイサクを山へとつれ出すのです。
そしてイサクに刃物を突き刺そうとしたその瞬間、天から明確な声が。
「アブラハムよ。あなたの信仰心があなたを救った。イサクを解放してやりなさい」と生贄にすることをやめさせます。
「苦難は神の試練」
Goddard氏はそう言います。
宗教家でなくても、そう信じることが課されている。天から。人生ドリルとして。
その大前提は、「全てはうまくいく。All is well。神の絶対的なご加護があるのだから」
この大前提がない限り、「どんなことが起きようとも、自分にとっては最終的には良いことばかりが人生には訪れる」とはなりません。
⚫︎神→ 宇宙(Univers)、あるいは「自分」
神、というと、どこかの宗教の話に聞こえるかもしれません。
でも振り返ると、どんなに大変で悲しいことも、長い年月が流れて振り返ると幸がもたらされていることがあります。
たしかに辛い。その時は。
だから大きな人生ドリルなのです。苦しみの中にいるときは、「いいことばかりなわけ、ないだろ!」としか思えない。私はそうです。
でも、大きな存在によって導かれているとしか思えないような大きな学びや進化、進歩などが後年にもたらされる、ということも私は経験しています。
良いことばかり。何が起きようとも。だから、宗教家の信仰心のごとく、私たちも信じることをやめてはいけない。自分を。「全てはうまくいく。自分の人生の良き学び、良き結果のためにいまこの状況がある、ということを」ということが、私が日々、自分のうちなる世界から受け取っているメッセージなのです。