今日の記事では、ものごとを判断したり人と接する際などに、自分のぶれない基準を持つということについて書いています。
<もくじ>
●自分の基準を持つ。
●ビジネスパーソンは特にやってはいけない。人によって判断基準を変えること。「人」には自分も含まれる。
このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事は「徒然なるままにひぐらし。」のカテゴリーで人生ドリルシリーズとして書きました。同じカテゴリーで書いた前回の記事は下からご覧になれます。
●自分の基準を持つ。
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昨日の記事で私は「人によっては態度を変えたほうがいい場合もある。けれど、自分の判断基準は誰に対しても同じでなければならない」と書きました。
判断基準はその人の核のようなものであり、その人の人となりを把握する道しるべのようなものといえます。そしてこの道しるべはその人の倫理観にも関係していることが多い。だから、この道しるべを相手によってころころと変えると不信感を与えてしまうことがあるのです。
小さい子どもなどはとくに敏感です。「お兄ちゃんにはいいと言ったのになんで僕にはだめだって言うの!」などと言ってきたりしますよね。
会社でも上の人間にはだめだと言えないことを、下には平気で「だめだ」と言ってきたりする人間がいる。
★1週間の長期休暇は社員全員、年に一回と決まっている。けれど、自分より役職が上の人間には「どうぞどうぞ、お好きな時にお好きなだけお取りください」という。
★後輩には「時間厳守」と口をすっぱくして言いながら、先輩が部活に遅れてきても怒りもしない。
★習い事で、ある人には厳しく教えつつ、ある人には甘い。
小さい子どもでなくてもむかつきます。笑
「人によって言うこと変えるな」と。
判断基準とは文字どおり、そのひとが判断するための基準でありそのひとのベンチマークだと思います。
●ビジネスパーソンはとくにやってはいけない。人によって判断基準を変えること。「人」には自分も含まれる。
人によって判断基準を変えると、不信感を与えることになります。とくに相手が目下であればなおさらです。というのも、目下の人間にとって目上の人間のすることは100%だから。私もペーペーの新人銀行員のときにはそれをなんど体験したことか。
私が東証一部上場銀行の銀行員だったとき、2歳年上の女の先輩が直属の上司となりました。その時の話です。
私が入社して開口一番、彼女はこう言いました。「あたしは一回しか教えないから」。これは宣戦布告です。人の一生のうちでも一回言うか言わないか、という挑戦状に等しい。
私も負けん気は強いほうです。「誰にモノ言ってんだよ。あたしの記憶力と飲み込みの速さを試そうなんて10年早ぇよ」と心の中で毒づきました。んまぁすごい新人。大笑
くそやってやる、と本当に一度教えられたことはノートを取りながらほぼ一発で覚えるようにしてしました。
ところが、です。彼女は自分自身には甘かった。
教えながら、自分がそれを以前教えたかどうかは覚えていないのです。そしてわりとけろっとした顔で「これって前に教えたっけ」という。この話は以前もこのブログで私は書きました。
上司としてメリハリがあって、一緒に笑い合うときは笑ったり雑談したりしつつ、ここぞという仕事の時は「一発で覚える」とカツを入れるというのとはわけが違います。なにしろその先輩はプライベートな話はおろか、アイコンタクトのある笑顔すら私にはまったく見せませんでしたので。
「仕事は一発で覚える。それが正しいことである。それが仕事である」という価値基準を持っているのなら、それを自分にも課さないといけない。
相手に一回しか教えない、ときっぱり明言したのなら、自分も一回しか教えられないのだ、と教えたことをメモするなり頭に刻んでおく。それが有言実行するということですよね。
私に対して「一回しか教えない」と宣戦布告してきたりしなければ、「これって前にも教えたっけ」と言われた際、私のほうも「先輩、かわいいな」で済んだはずです。
だいたい、言葉の額面自体がものすごく威力あります。「一回しか教えない」という額面。
その裏にある価値基準は「仕事は一回で覚える。何度も人に言わせない」。もっと言えば「それだけ仕事は厳しいもの」という価値基準もあるのかもしれない。だったらそれを自分でも実行しないといけない。
だから彼女がここで自分も教えたかどうかをしっかり、記憶にとどめるなりメモに厳格にとっているなりしていたら、その威力は私にプラスの印象を与えたはずなのです。「この人はすごい先輩だ。自分にも厳しい」と。
彼女は私にも甘えていたのだと思います。そして自分自身の能力も過信していた。
「私はコヤマさんに教えたかどうかをメモとらなくても覚えている。教えたかどうかを万が一覚えてなくても、コヤマさんに『教えたっけ』と尋ねればいいだけ」
当時の私にはこの上司はダブルスタンダードだと思えて信頼できなくなりました。
「人によって基準を変えない」の「人」には他人ばかりではなく自分も含まれます。人に厳しい価値基準を押し付けるのであれば、自分もそれに従わないといけない。それができないと思えるのなら、自分の価値基準についてよく考えてみる必要がある。私はそれを新人時代に仕事で学んだのです。
もし自分が教えたかどうかを忘れてしまったのなら、「あんなに厳しいことを言っておきながら、私自身は教えたかどうかを忘れてしまったの。本当に申し訳ない。自分の言ったことを有言実行できいないのだから、これからはお互い、密にコミュニケーション取りながら連携取りましょうね」と自分の弱さをあえて認めて謝罪してくれるだけで目下の人間はどれだけ信頼を寄せられたことか。
ダブルスタンダードであることを目下に見せることは目上である本人が想像する以上に目下には強い不信感を与えてしまう。私はそのことを自分の経験から学んだのです。
「だから価値基準は自分にも他人にも同じでなければならない」
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