Engagementをいまいちど、考える。

●Engagementをいまいちど、考える。

さっこん、日本でもいろいろな場面で使われることの多くなった「エンゲージメント」という言葉。

私は以前、エンゲージメントについて記事を書いたこともあります。

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EngagementはConfessionとおなじく、宗教を想起させる英語です。

「神との約束」

つまり、崇高なる存在との契約です。

(余談ですが、よく言われることのひとつに、米国が契約社会なのは、神との契約を重んじる(旧約聖書 Old Tetament)ユダヤ人(ユダヤ教)のかたが社会的に高い地位にたくさんいらっしゃるから、というのがあります)

おなじような意味合いにCOmmitmentという言葉があります。

でも、Commitomentとは違う。

Commitmentは「かかわり」という言葉がしっくりくるような、「私」(あるいはいっぽう)から「あなた」(他方)へのエネルギーの放出を想起させます。

それが、「あなたの業を主にゆだねれば、計らうことは固く立つ」の英語である、”Commit to the LORD whatever you do, and he will establish your plans”」ということ。

「神」のまえで、「この人と(死が二人を分かつまで)添い遂げます」という「結婚の約束」をする予定、つまり「婚約」をしたときにかわす指輪を「エンゲージ・リング」(英語では“Emgagement Ring”)と言うところからも、Engagementという言葉には、「神」という大いなる存在を抜きにしては語れないということだと思います。