今日の記事では、「相手のどこに意識を向けるかによって自分の感じ方が違ってくる」ということについて書いています。
このカテゴリー「徒然なるままにひぐらし。」では前回、下の記事を書きました。
(我が母校青山学院の駅伝チームOB森田くん、下田くん、一色くん、林くん等々が就職したGMO社です!私がひそかに応援してきた島貫温太くん(帝京大)のGMOチーム参加も決定してしばし舞い上がってます、私。笑 実業団からも目が離せなくなりました)
●相手のどこに焦点(意識を合わせるか」で、相手に対する自分の態度が変わる。
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さいきん、おもしろい経験をしたので今日の記事として書くことにします。
以前私はこのブログで、「他人の短所だと思えるところは長所でもありえる」と書いたことがあります。
たとえば、ある人に対して「気が利かない」と文句を言う人がいます。でも私から見るとその「気が利かない人」は他人のあら捜しをしたり小賢しく立ち回ったりもせず、のんびりとしている。人に指図したりもしない。がみがみ怒ったりもしない。だから、いっしょにいて居心地いいときがあります。
私の知り合いで、別の知り合いに対して「あの人は言い方がきつい。フォローがない。だから彼女の物言いのせいで私は傷つけられて落ち込んだ」と相談してきたひとがいます。なるほど、と思いつつも、話をきくにつれてなんだか、それぞれが私には「似た者同士」に見えました。
だいたい、その相談してきた人もときおり言い方きついと私は感じているのです。爆
きっとそれぞれ、無意識におたがいに甘えてしまって「なに言ってもいい。どういう言い方をしてもいい」と思ってるんじゃないかな。私は相談してきた人の「きついもの言い」に対しては、そう思うようにしています。「友だちだからどんな言い方しても許してくれる」「友だちなんだから、言い方に気を遣う必要はない」。
だから、どちらの言い方も「まぁそういうかたたち」なのであり、「右から左に流して」(これも私が日々していることとして、このブログで書きました)、教えてもらえることは教えてもらい、吸収させてもらえることは吸収させていただこう、と付き合ってきました。
彼女にとって自分の姿は見えない。そして(おそらく)「自分のしていることは正しい」。
おもしろいですよね。自分の姿を映す鏡はこの世にはなかなか存在しない。物理的に映し出す鏡はあるけれど。人って自分のことは見えないもんなんだなぁ、とつくづく思いました。自分への戒めとして気を付けないといけません。
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自分がおもっていること = 100% (A)
自分から見て「人が思っていること」 = 50%以下 (B)
はたから見た印象 = 「A = B」(C)
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ちなみに、「C」が私の感想です。笑
以前このブログで書いた「コップの中に入った半分の水」の印象に近いかもしれませんね。事実は「コップの中に入った半分の水」けれど、人によっては「あと半分しかない」で、別の人にとっては「まだ半分ある」。でも量は、同じ。
どこに自分の意識をむけるかで、物事に対する見方が変わる。そのことを強烈に感じたできごとです。
●意識というエネルギーを向けたさきは、自分にとって100%になる。ほかにまったく意識がむけられないほどに。
痛みがそうです。これもこのブログで書いたことがありますが、「痛み」に全意識をむけたとたん、痛みがいっそう激しさを増すという経験をした人はたくさんいると思います。私もそうです。
自分のまわりでは日々さまざまなできごとも起きているはずなのに、人生100%、痛み一色になる。笑
朝から晩まで、痛い部分にすべての意識を集中させて。そうして、自己治癒力の力をさまたげてしまったりもする。
人に対するネガティブな思いもきっとそうなんじゃないか、と思いますね。たとえば上記の「気が利かないように見える人」。相手の「気が利かない」ように見えるところばかりに自分の意識を100%向けてしまうと、彼・彼女が持つ、いいところにまったく意識がむけられなくなってしまいます。
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★のんびりしていて人のあら捜しをしない長所。
★人の悪口を言わない長所。
★やたら小賢しく動き回ったりしない長所。
★裏表がない長所。
★誰に対しても感謝を忘れないという長所。
などなど。
わたしに相談してきた人が「苦手意識を持つ人」についても、わたしから見るとこんな人に見えるのです。正直言って。
★裏表がなくてさっぱりとしている。
★いろいろ教えてくれる。
★ねちっこくない。
★性根が悪くない(性根が悪いのを私はこれまでの経験から知ってるので、私には彼女は神様みたいに見えるときがあるのです)
★気分屋ではない。
おそらく、私に相談してきた知人はずっと、「いい人たち」に囲まれて長年生きてきたのかもしれません。だからちょっとしたきつい言い方にもめげる。そして自分の姿は見えない。
生きているうちはいっぱいいっぱい、人間関係に揉まれると良いですよ。どういう人間が「性根悪い」やつか、知ることができますし(そのときはむちゃくちゃ大変だけれど)、人里離れた山にこもって宗教活動するよりもずっと、「人間」が見えてきます。そして人との社会での生き方も見えてきます。
「とかくに人の世は住みにくい」と言った夏目漱石は新聞社で働いたり親族がたくさんいたり学校で教えたり組織の中で働いたりしました。英国留学も経験しています。人間にたくさん揉まれたんですね。だから後世の人間でも「うんうん、ほんとそうなんですよ!」とおおいに共感できる草枕のあの名文が書けたのだと思います。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」(夏目漱石「草枕」より)
(そうそう、そういえばすっかり忘れていました、私が卒業した「オレゴン大学(University of Oregon)」には夏目漱石のお孫さんであり、小説家松岡譲の娘さんでもある、松岡陽子マクレーン教授がおられましたね)
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“小山ケイの人生ドリル9ー「相手のどこに焦点(意識)を合わせるか」” への2件の返信
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