今日の記事では、英語のnativesを「先生」に選ぶ際、どんなことに気を付けたらいいか、どんな人間が「いい英語の先生」となるか、コツを5つ書いていきます。
<もくじ>
●英語圏のnativesがみんながみんな「良い先生」なわけないです。笑 見分け方のコツ5つ。
●気を付けたほうがいいこと。
このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日は「英語(潜在意識を味方につけて)」のカテゴリーで書きました。同じカテゴリーで前回書いた記事は下からごらんになれます。
●英語圏のnativesがみんながみんな、「良い先生」なわけないです。笑 見分け方のコツ5つ。
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多くの日本のかたは気づいているとは思うのですが、nativesだからと言って、みんながみんな、「良い英語の先生」ではないです。
それは日本語nativesでも同じですよね。
語学学校に通うのであれば、そこにいる先生から選んだり学校側から「この人があなたの先生です」と決められたりで、あまり選択肢はないかもしれません。
けれど、たとえば私のように米国大学に留学して現地で友だちになったnativesに「先生」となってもらったり、あるいは好きな洋楽ミュージシャンや映画俳優を「自分の英語の先生」にしてしまうこともできるわけです。
あるいは日本の語学番組に出てくるnativesを先生にすることもあるかもしれない。
どんな人をその言語の「先生」に選ぶか。
私が自分の長年の実体験からつかんだ「見分け方のコツ5つ」を今日はご紹介しますね。
良い先生を選んで英語を身につけたい、と思っているかたのお役に立つことを願って(もちろん、他の外国語にも応用可能ですよ!)。
1) 自分が指摘したことに対して説得力のある「なぜ」が言える人間ほど、頭が良くて良い先生となってくれやすい。
→ 「なぜ」が言えずに「そういうものだから。nativesはそうは言わないから」の一点ばりはアタマ悪いと思います。笑 (ガキじゃないんだからさ)
たしかに、言葉は「なぜ」が言えないことも多い。
でもだからこそ、アタマを使って「どうしてなんだろう」と考えてみる。nativesとして。頭の体操として。
バ●の一つ覚えで「nativesはそうは言わないよ」の一点張りな人間は、その努力を怠っているということだと思います。
日本語であれば、「『は』、と『が』の違いはなにか」自分の頭でつねに考えるということです。
「私は」と「私が」の違い。言えますか?
2) 次の英文の「出典先を知っているかどうか」、nativesにチェックする。
“To be or not to be. That is the question.”
“April is the cruelest month.”
“The salt of the earth.”
→ 日本人の私でも知ってます。知らないのはたいしたラベル、いやレベルじゃない。笑
「これらは英語圏ではよく使われる言い回しだよ」は答えになっていない。それは英語圏で生まれ育っていればわかるというだけのレベル。
知っているかたは知性と教養があって語彙力もあり、かつ努力のかたです。こういう人にご自分の英語の先生になってもらうと自分の理解度も上がりますし、英語にまつわるいろいろなことを学べます。なにより知的好奇心が刺激される。
ちなみに上から、シェークスピアのハムレット(Hamlet)、ノーベル文学賞も受賞したT.S. Eliotの「The Waste Land」、そしてキリスト教の聖書(from “Mathew” of the Bible)からの出展です。
敬語には尊敬語・謙譲語・丁寧語の3つがあることや、いざなみ・いざなぎの古代の日本の神様のこと、三島由紀夫や夏目漱石の書籍のこと、隣組・五人組のこと、「目上の人をなぜ二人称代名詞で呼びつけてはいけないのか?」などなど、答えられないような日本語nativeよりも答えられる人間から日本語を習うほうが、日本語や日本への理解が深まるのと同じです。
3) ハートがある。
→ ちゃかしたり揚げ足取ったりすることなく、さいごまでじっくり、話を聞いてくれる人。ミュージシャンや映画俳優などを先生に選ぶのであれば、言うことに知性・教養・独創性・説得力があって、審美眼や美意識を感じさせる人。普遍性を大切にして深い洞察力のある人。
4) 言うことにノイズがない。コミュニケーションにノイズがない。
「ノイズ」については何度もこのブログで書きました。
ノイズがあるとすごく聞きづらいです。
【私が思うノイズ】
★話す人間の虚栄心
★自己顕示欲
★理解力不足
★アタマのわるさ
★1つ説明するのに10言わないと理解しない。
小山ケイ過去記事】コミュニケーションの「ノイズ」に気を付ける。
5) Easy-goingで「自分をコケにできる」人。
友だちや顔見知りであれば、気張らないので気楽に付き合えることと、ユーモアがあるので親しみを感じたり面白さを感じたりで、その人との勉強が末永く、楽しく継続されるはずです。
人気のあるお笑いタレントさんがそうですよね。被り物をしたり笑い話にしたりで自分をコケにしまくり。でもたくさんのお茶の間の人たちから愛されている。目線が同じか、あるいは自分よりも「下」にしてくれてるから(間違っても上から目線じゃないから)。
洋楽ミュージシャンや映画俳優などを「先生」に選ぶのであれば、肩ひじ張らない人で自分をこけにしたりおちょくったりして笑いを取っている人。
●気を付けたほうがいいこと。
シビアなことを言うようですが、とくに女性は気を付けたほうがいい。下心あって近づいてくるのがいますので。私が米国大学に留学していたときですら、「ある教授(助教授?)には気を付けてください。日本人の女性をカモだと思っていますから」という匿名の投げ文が私のアパートまであって驚いたことがあります。
語彙が少ないのにも気をつけたほうがいい。
英語圏の古典や歴史に詳しくないのにも。ようするに知性が感じられない。努力を怠っている人間。
英語がしゃべれればそれだけで日本で英語の先生になれる、と思っているふしのある人間にも気をつけましょう。私ら日本語natives(外国籍の方も含めて)、そんなにアホじゃない。ふざけんのもいーかげんにしろよオマエ、と言いたくなることがあります。nativesに対して。
どこか見下してるところがあるのかもしれないですね。「こっちは戦勝国(WWII)の人間だぜぃ」と(いやそれはさすがにないかな)。英語nativesのほうが偉いと。だから、英語nativesであればだれでも英語の先生になれる、と彼・彼女は結論づけているのだと思います(甘ぇよ)。
さらに。
自分が指摘しておきながら、その根拠や論拠があいまいなのにも気を付けたほうがいい。
言語学や英語学に根差した指摘をしてくれ、とまではいわないけれど、その言語を学習したり「習得したいな」と思っている外国人に対して「そんな言い方、nativesはしないよ」「そんな言い方、へんだよ」と言って終わり、では単純に上から目線でモノを言ってるだけ。
不親切ですよね。そんな指摘は。
そう指摘されれば、指摘されたほうは恥(disgraced)をかいたような気がするばかり。Good neighbors(良き隣人)のすることじゃない。
良き隣人は自分が外国語を勉強していた(している)ときのことを思い出して相手の立場に立てる人。「nativesはどうしてそう言わないか」つねに自分のアタマ使って考えてみよう、と努力を重ねている人。「俺はnativesだから」とあぐらをかいてない人。
そういう人こそ、その言語のnativesとして「先生」に選んだほうがいい。私の実感です。
今日は小山節、さく裂ですね。笑
エールを込めて!
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“【英語】どんなnativesを先生に選ぶか?良いnativesの見分け方。コツ5つ。Who is your good, sincere teacher of English study as “a good neighbor?”” への2件の返信
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