今日の記事は、
日本語で劣等感という意味で言う
「コンプレックス」について書いています。
●コンプレックスは魅力になりえます。ものごとは多面的だから。
●では、多面的って?
●10代のころの私の「コンプレックス」
昨日は下の記事を書きました。
●コンプレックスは魅力になりえます。ものごとは多面的だから。
日本語でコンプレックスというと、短所とか劣等感を感じるパーツという意味で使われますが、英語の「complex」には複雑な、とか、入り組んでいる、というような意味合いがあります。
私などはcomplexと英語で聞くと、何層にもなっていて、かつ、入口もいろんなところについているような複雑な形をした建物を思い浮かべます。そうした建物を「complex」と呼ぶからです。(上から見ると、星型だったり、中心部がハブになってる形だったり)
コンプレックスとわれてまず思い浮かぶのが容姿という人は多いんじゃないかな。でも、コンプレックスを武器に華々しい活躍をされているかたもたくさんいらっしゃる。
多くのスーパーモデルさんはそうじゃないですか。
小さいときから自分の容姿に劣等感を感じていて、でもあるとき、そこがチャーミングだよと人から言われて、試しにモデルエージェントに写真を送ってみたら、即連絡がきて、あれよあれよという間にミラコレ、パリコレにひっぱりだこのスーパーモデルになる。
鼻が低い、
両目の間が広がっている、
額が広い、
顔が童顔、
背がひょろりと高い、
手足が一般の人より長い、
などなど。
ランウエイで切れ味よく歩く彼女・彼らの姿のカッコよさをみながら、個性的な姿に自信とオーラすら感じます。
英語の「complex」と同じく、コンプレックスを抱える部分は本人はその一面がすべてかもしれませんが、はたからみると多面的で独自性と個性があって、とても魅力的にみえたりするのです。
●では、多面的ってどういうこと?
たとえば。
子どものときにすでに170センチを超える背が高い女の子がいるとして、本人はそれで目立つことがいやだとしても、背の高さはスーパーモデルには必須です。
私の知り合いのお嬢さんは、背が170センチに満たなかったので、スーパーモデルの道はあきらめたそうです。
(お母さんも若いころはモデルをしていました)。
世界的なファッションショーに出るには女性であれば170センチ以上の身長はほしい、と言われているそうです。
容姿だけではありません。
新聞の人生相談の欄などに、「自分はシャイで引っ込み思案でそこがコンプレックスです」なんて10代の子の相談が寄せられていたりしますが、シャイで引っ込み思案な性格の他の側面は、感受性が豊かで、人の心や非言語のコミュニケーションによく注意を払っていたり、でしゃばらず、人との協調性を重んじたり、人の話をよく聞いているためだったりしますよね。
誰でも、「自分の話をまず聞いてほしい」という欲求が多かれ少なかれあります。だから、人の話をよく聞いてくれる人は信頼されて人気者になることが多いです。大人だってそうですよ。
ほかにももっと、あります。
1)一重まぶた→ 東洋人らしくて、女性であればアイライナーをしっかりと引いて切れ長の目にすると、欧米人がよく表現する「almond eyes」になって神秘的な雰囲気がでます!
(John Lennon はYokoのことを「Sea-shell eyes 」と歌ってますが・・・)
2)そばかす→ モデルさんにもおられますが、そばかすを強調して若さとか個性を表現したりできます。キャンディキャンディみたいでかわいく見えるのです。(古いかな?)
3)「話がへた」(と本人がそう思っている)
→ へたなのではなく、聞き上手なのです。だから、無理して話そうとせずに、自分のことを話したくてしょうがない人の話を楽しく、幸せな気分で聴いてあげることがあなたの魅力をさらに開花させることになるのです。
●10代のころの私の「コンプレックス」
自分との折り合いをつけることに四苦八苦していた10代のころの私は、とにかくコンプレックスのかたまりでした。
わーっと人を笑わせる子やなんだか流行のものにすごく敏感でおしゃれが上手な子や(それで雑誌に読者モデルとして載ったり)、華やかな雰囲気でいつもまわりとおしゃべりしている子や、アイドルみたいな「隣の女の子」の容姿をしたかわいい子などがとてもうらやましかった。
私自身はけっしてガリ勉ではなかったけれど、ファッションにとりたてて興味があるわけでもなかったし、アイドルみたいなかわいらしさがあるわけでもなく、人気者のお笑いタレントさんみたいな人をドッと笑わせる才能があるわけでもなく、華やかに自分の話を「そんでさぁ」と話せる性格でもなく、とにかく、うつうつとした日々を過ごしたものです。
でも、友達に相談したり、ヨガに通ったり、学校のカウンセリングの先生に相談したり、そして大人になって社会でさらにボコボコにされたり、いろいろな人と出会ったりしていくうちに、自分で自分の良さ「これでいいじゃん」と納得できるところが少しづつですが、増えていきました。
そのころから精神もだいぶ、安定してきたと記憶しています。
自分のことを華やかに、しゃべりでアピールできないことが高校生のときはコンプレックスでしたが、友人たちには、「そんなふうに悩んでるとは知らなかった」ととても驚かれたものです。
「アナタは人気者だから」なんて言ってくれた人もいます。
思えば、とても上手に自分のことを披歴していたように(私には)見えた子も、実は何かを抱えていることを隠そうとして必死に自分のことをまわりに話していたのかもしれません。
もちろん、大人になったいまは、自分のことよりも、まずは相手の話を聴いてみたい、それが相手に対する礼儀だから、ということもわかっています。
自分のことをまったく話さずに終わる会などもあります。笑
「ごめんね、こっちの話ばっかり聴いてもらっちゃって」なんて言われることはざらですが、それで相手が気持ちよくなってくれて、私とこれからも良い関係を築こう、と思ってくれるのならそれはとても幸せなことですよね。どちらにとっても。
若いうちはフィードバックも少なくてコンプレックスがなかなか解消されないかもしれませんが、何度も言うように、「complex」は多面的(複合的)なのですから、自分がこうだ、と決めてしまった一面だけではなく、その裏側にある良さや、人から少しでももらった「言霊(ことだま)」を大切にして自信につなげてくださいね。
オーラのある魅力となりえますよ。
“コンプレックスは魅力になりえるのです。物事にはかならず、いろいろな側面があります。” への3件の返信
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