日本社会における相対性 – In Japanese society, relativity is sometimes more important than absoluteness.

Relativity and absoluteness

今日の記事では、母校の青学から単位をもって米国オレゴン大学へ編入学して卒業し、15年以上に渡って「サステナビリティ・ESG・気候変動」などに特化した専門翻訳会社を経営しながら再び青学(大学院)へ戻ってMBA(修士号)を取得した私・小山ケイが、日本における相対性の価値の重さについて書いています。

<もくじ>
●日本社会における相対性 – In Japanese society, relativity is sometimes more important than absoluteness.
●世の中は、確実に絶対性に向かっている。地球が小さくなっているから。 Nonetheless, the Japanese society is also accepting the value of “Absoluteness” because the planet Earth is getting smaller and smaller.

 

このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事は「徒然なるままにひぐらし。」のカテゴリーで書きました。同じカテゴリーの過去記事は下からご覧になれます。

●日本社会における相対性 – In Japanese society, relativity is sometimes more important than absoluteness.

 

日本社会が絶対的なものではなく相対的なものに重きをおくことがある、ということを私が知ったのは銀行員だったときです。

絶対的に「正しい」と思えるとではなく、相対的な価値観が優先されました。

 

たとえば、組織の序列にそった価値観。

ぺーぺーの新人が言うことではなく、入社年度がさきの人間が言うことが「正しい」と。

だから、まわりもその「正しい」ことに従おうとする。

たとえそれが世の中から見ておかしいことであっても。

絶対的な基準からすると違法性があっても、相対的な組織社会の序列で上に位置する役職者がゴーサインを出せば、数字の書き換えが行われたり。

国会議員もそうです。

もと議員の河合夫妻は、絶対的な交通法は無視(制限速度を50キロオーバー)し、相対的な組織の序列や権力者のほうを大切にした。報道から私はそう、理解しています。その時に感じた既視感は、私自身がぺーぺーの新卒銀行員だったときのことだったのかもしれません。

宗教がとても強い縛りを持っている国は、宗教の教えが絶対です。

あるいは政治がとても強い縛りを持っている国は、為政者の言うことが絶対です。

相手によって基準が相対的にコロコロと変わる日本社会は、もしかしたら日本語の主語が相手によってころころと変わるところにも通じるのかもしれません。

「あなた」と「私」という、絶対的な神(あるいは信仰する対象)のもとでの対等な立場の個人ではなく、さまざまな組織(家族)の力関係や序列によって基準や目線が変わる「その他(主体がない集団)」となるように。

たとえば。

★同じことをAさんとBさんがした場合。Aさんが序列の上にいればゆるされ(目をつぶる)、Bさんだけが非難される。

→ サザエさんのエピソードにもありました。笑

カツオがしたことだと思い、波平さんが「コラッ」とどなると、それは実はマスオさんがしたことだった。マスオさんは「お父さん、すみません」と平謝りすると、波平さんは打って変わって「あ、君だったのか。いやいいんだ」と柔和な態度に。それを見たカツオは「どーして僕だとだめでマスオ兄さんだと許されるの?!」と怒り出します。

★入社年度の浅い人間のやることにはちくいちダメ出しをするけれど、自分より先輩の人間のすることにはけちはつけない。笑

★法や規律は無視するけれど、自分が属する組織の決まりごとや序列には絶対的に服従する、とか。

★その組織に先に入った人の言うことを絶対視して、他の人間にも徹底させる、とか。その中身を吟味することなく。

すでに組織人から足を洗って(?)久しい私でも、日本にいるとこうした相対的な価値観で行動する人と接することが時々あるのです。おどろきますね。

ご自身が「なんとなく腑に落ちないな」とおもったとき、相手は意外とその「日本の相対性」に基づいているかもしれませんよ。そう分かれば、なぁんだ、と納得して対処法が見えてくることもあると思います。

★パート先では、入社年度の早い人の言うことが絶対。

★同僚は、自分よりも先輩の言うことのほうを大切にする。

★子どもは自分よりも部活の先輩や同学年の言うことのほうを大切にする。

★同じことを部長がすれば許され、自分がすれば先輩から叱責させる。

★先日はだめだったことが、今日はいい。その日によって状況が変わるから。

→ 戦時中はだめだったことが、終戦後、180度ころっと変わったことは、体験者であるご高齢のかたたちからよくお聞きします。

Organizational dynamics, I believe, influence the tendency that the Japanese society values relativity rather than absoluteness unlike religion-oriented, politics-oriented, or even dictator-oriented societies. 

●世の中は、確実に絶対性に向かっている。地球が小さくなっているから。 Nonetheless, the Japanese society is also accepting the value of “Absoluteness” because the planet Earth is getting smaller and smaller.

Hamamatsu-cho, Tokyo

相対的な価値基準に重きが置かれることもある日本ですが、絶対的なもののほうを大切にすることも多くなったように思います。

地球が小さくなったからです。

SNSや動画の利用などで、「地球村」の規律や行動規範などがわりと、普遍性のある、絶対的なものにおかざるをえなくなった。

企業という組織も多国籍企業が増え、日本的な相対性が通じなくなった。

運営会社の決まりだったり、そのコミュニティで自然とできた規律だったり。

「組織」と言うにはあまりにも広すぎたり参加する人間が多様化していることも理由だと思います。

「相対性」はあくまで、参加者が固定されていることが大前提。

そうでなければ、今日、その組織やコミュニティ(国)にやってきた人でも理解できる、絶対的なものが重視されるのが人間がつくる社会だと思います。文化や宗教に関係なく。

★参加者の顔ぶれが多様になった。

★参加者が流動的になった。

★参加形態が多様になった。

★参加する時間帯がばらばらになった(時差、いつでも見られる、いつでも参加できる)