今日の記事では、私の好きな英語として「Good」について書いています。
<もくじ>
●私の好きな英語ー「Good」。
●Goodの発音。
●二項対立ではなく「Good」だけで考える。
このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日は「英語(潜在意識を味方につけて)」のカテゴリーで書きました。同じカテゴリーで前回書いた記事は下からごらんになれます。
●私の好きな英単語ー”Good”
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おそらく日本の義務教育で一番初めに習う英単語のひとつだと思います。
カタカナにもなっている“Good(グッド)“。
単純明快。小さな子でも使う。そしていろいろな意味で使える。
★誉め言葉として。
★体調がいいい。
★気分がいい。
★すべてがうまく行っている。
★当たり障りなくやり過ごす(笑)
★小難しいことを振りかざさなくて済む。
★ほぼ誰からも理解してもらいやすい。
その使いやすさと明快さでとても私が気に入っているGood。でも少し考えると、実際の会話に「Good」を使うことってあんまりない気がします。
体調を尋ねられたり相手の言葉に対して軽く返答する(良かったね、というようなニュアンスを込めて)以外に使うことがあれば、定型のようなよく使われる言い回しで使うことが多いかも。
Good job
Good neighbors
Good shot
私が”Good”を好きなのは、そのシンプルさ。
思うに、人に対してよりもきっと、自分に対して使うことが多いかもしれません。
「調子はどうだい」「Good」
“Good”とひと言、自分に対して投げかけるだけで、その「Good」な状態がしごく当然かつ日常的なものであるように思える。感謝とともに。
ほどよい脱力感があるから。
それほど”Good”は私にとって基本のような言葉なのです。
●Goodの発音
1) 「グー」
2) 母音を発音せずに「d」
3) 「グー(d)」
●二項対立、ではなく「Good」だけで考える。
よく言われることのひとつに、英語圏とくにキリスト教の影響が色濃く反映されている文化圏では、「いい悪い」のような二項対立の発想をする傾向にあるということ。
◆善悪
◆民主主義 vs. 社会主義
◆東西
◆正義 vs.「悪の枢軸」
◆”Happy ending” vs. “Sad ending” (昔のハリウッド映画のような)
でも物事はわりと、白黒つけられないことが多い。
二法対立に当てはめようとするとグレーゾーンだったり複雑な事象だったり。
私の好きな「Good」も、私の中では「bad」に対する「Good」という二項対立というよりは、意識が完全に「Good」しかないような状態です。
しいて反対の考えを上げれば、「よくわかんねえ」「どっちでもねえ」とか。
目盛りがどこにも動いていないような状態、つまりしらけ。
★何も感じない。
★しらけ。
★何にも感動しない。
★何にも感謝しない。
★自分の健康を確認(そして感謝)しない。
二項対立の中で「Good vs. Bad」ととらえるとおそらく、大きなGoodしか喜べないとか、Badと思える中に隠れた「Good」の存在に気づけない、なんてことも起きてくると思うのです。
私の好きなGoodはそうではない。
一般的には「Bad(ピンチ、いやなこと、etcetc)」に見えるようなことの中にも「Good」に転じる事象があったり、実際にすでにGoodであったりする。
「Badじゃないわ、Goodだわぁ」と手放しで能天気に喜んでいても、実はBadなことが潜んでいたり、のちのちBadに転じたり。
もしかしたら私の考える「Good」は、「中庸」ということなのかもしれない。
中庸(陰陽Yinyan)=Good。
昔の西洋人には理解しがたい考え方かもしれません。笑
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