今日の記事では、物事の多くはその人のメンタリティに左右される、ということことについて書いています。
<もくじ>
●物事の多くはメンタルなことに左右される。
●メンタリティとはたぶん、「非認知能力」。
●では具体的にはどんなこと?
このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事は「徒然なるままにひぐらし。」のカテゴリーで人生ドリルシリーズとして書きました。同じカテゴリーで書いた前回の記事は下からご覧になれます。
●物事の多くはメンタルなことに左右される。
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このことに気づいている大人は日本にはそれほど多くはありません。
特に日本は「アタマ至上主義」。
私が「アタマ」とこのブログで何度も呼ぶのは、さっこんよく耳にする「認知能力」に代表される能力に匹敵する。
数字を計算したり過去モンから出題傾向を把握して情報処理しながら受験対策を立てたり英語の文法をたった一晩で理解する能力など。
小山ケイ過去記事】感覚(Feeling)を大切にしよう!英会話、地頭の良さ、ビジネスなど、すべての点でアタマと感覚は両輪です。
(米国大学に留学していたとき、飛行機の中で日本の某省庁のお役人さんと隣の席になりました。そのかたと少し雑談したさい、「人種差別は受けなかった?」と聞かれ、私は「この人ピントがずれてるよ。アタマはいいんだろうが」とコムスメながらアタマ至上主義の欠陥を見たような思いがしました。会話もなんだかちぐはぐ)
けれど、物事の多くはアタマではなくメンタリティに左右されます。
私が長い人生のなかでこれまで見てきて、成果を出したり、心身ともに豊かだと自分自身が感じながら充実した人生を送ったり、スポーツをはじめとする専門性ある分野で成功したりする人に共通するのは、「物事の多くはメンタルなことに左右される」ということを知っていたり、あるいは無意識に体現していたりする人。
反対に、日本社会(あるいは、いわゆる「エスタブリッシュメント(大学教授など)」)は机に座ってするお勉強にたけた人を重宝する。
けれど、そういう人が「ここぞ」というときにその力を発揮できなかったり、人生をぞんざいに生きたり、幸せや豊かさということをアタマで考えようとして道を失ったりすることがあります。
私は昨日の記事で「新しく始まる大学入試共通テストで力を発揮するために、物事の多くはメンタリティに左右される、ということを知っておく」ということについて少し触れました。
どんなにアタマがよくても、共通テストという本番でメンタルの弱さから頭が真っ白になって、そのアタマの良さを十分に発揮できないままに終わってはせっかくの努力も無駄になってしまいます。
スポーツの試合もそう。
ゴルフもそう。
オーケストラ部の演奏会もそう。
生活の変化もそう。
逆境と呼ばれる大きな壁が現れたときもそう。
人間関係もそう。
新しい環境に順応するときもそう。
海外留学もそう。
ビジネススクールで生き抜くこともそう。
→ ビジネススクールなんかアタマよりメンタリティが重要ですよ。どんなにアタマがよくても「よし。クラスメートに自分を印象づけるぞ!」と強い意志を持つことができなければ、「印象薄い人」でみんなに名前も覚えてもらえずに終わってしまいます。「卒業までやりぬくぞ!」という気概もそう。なければドロップアウトもあり。
小山ケイ過去記事】MBA取得のために母校青学(ABS)を選んだこと。
アタマのいい人たちが受けるであろう国家試験に際しても、メンタリティが極度に弱くて頭が真っ白になってしまっては、試験にまともに回答できずに「不合格」となってしまいます。
●メンタリティとはたぶん、「非認知能力」
私は心理学者でも社会学者でもありませんのでアカデミックな説明はできませんが、さっこんはやりの言葉を借りればおそらく、私が「メンタリティ」と呼ぶ領域は「非認知能力」なんじゃないかと思います。
人の学力に対する能力を測ると言われるIQが認知能力の計測であれば、メンタリティはいわゆる「EQ」もその一部として入ってくる。
IQでは決して測ることができません。
もちろん偏差値でも表せない。
【私が考える『メンタリティ」とは】
気持ちの強さ
やる気
ガッツ
粘り強さ
ハングリー精神
モチベーションを維持する力
自分をほめる能力
知的好奇心
自分を信じる力
自分を「認識」する力
あらゆることに楽しみを見つける力
あらゆることに幸せを見るける力
あらゆることに感謝する力
あらゆることに感動できる力
人に感動を与えられる力
人に強く良い印象を与えられる力
人に好意をもって受け入れられる力
自分と毛色の違う人間を前にして「どれどれ」と楽しめる能力
挫折感や危機感を「神がかったパフォーマンス (Divine performance)」にまで昇華できる能力
小山ケイ過去記事】80分という英語の大学入試・共通テストを「神がかったパフォーマンス(神パフォーマンス)」にする。
メンタリティに左右される、とは、これらがあるかないかということ。
●では具体的にはどんなこと?
★ビジネスであれば、取引先に出向いた時。
タフな交渉相手にもメンタリティの強さを発揮して、知的好奇心、なんでも楽しむ力、「パフォーマンス力」などにもとづいて粘り強く交渉してみたり、そうなるような方策をひらめいたり考えてみたり。
まんがいち罵倒されてもへこたれません。笑
「なにくそ」といいコンジョーで前に進みます。
どんなにアタマがよくてもメンタリティが弱ければ、一度出向いただけの取引先にその場で非人間的な扱いを受けたからと打ちのめされることもあるかもしれません。
★環境の変化であれば、大学生活
大学へ入学したとき、ほとんど知らない人間ばかりだったり、知らない学問を勉強したりすることとなります。
あるいは、上級生は「のみOK」ですから、校内ではたばこを吸ってる学生がいたり(高校生のときから吸ってた、なんて言っちゃだめですよー!笑)部活やサークルのコンパではアルコールを飲む学生がいたり。
そういう新しい景色や状況のなかでメンタリティの強さを発揮する人は、知らない学生にも自分から声をかけてみたり、協調性を出してみたり、学校の勉強も「どれどれ」と楽しんでみたり、新しい環境でも「やってやる」と粘り強く順応しようとする可能性が高いはずです。
★海外留学
言葉も文化も違う土地での生活はその人のメンタリティが試されているといっても過言ではありません。
私の体験で言えば、私は留学中、自分の文化を完全否定されているように感じたことが何度もあります。
「おとなしく控えめにしていること」がよしとされる日本とは違い、米国では「自分の考えていること、感じていることを、言葉を尽くして表現すること」がよしとされていて、沈黙は否定的に受け取られたからです。
それでもそういう文化にたとえ数年でも身を置くと決めたのですからやり抜きました。
自分の精神力が試されていると思いましたね。
あの経験でますます、ハングリー精神や挫折感を肥やしにする力、挑戦心、「自分を信じる力」、なんでも楽しんでやれと開き直れる能力が向上したように思います。
そしてケンカ力(喧嘩力)も。笑
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