今日の記事では、母校の青学から単位をもって米国オレゴン大学へ編入学して卒業し、15年以上に渡って「サステナビリティ・ESG・気候変動」などに特化した専門翻訳会社を経営しながら再び青学(大学院)へ戻ってMBA(修士号)を取得した私・小山ケイが、長年のなりわいである「翻訳」をとりあげて、「その面白さ」について書いています。
<もくじ>
●<英語>翻訳の面白さを知ってみる(あらためて)。by 小山ケイ
●翻訳者には「書いた人の意図」をおもんばかる能力も求められていると思う。
●いい翻訳者とは、「自分の存在を消せる人」。
このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事は「英語(潜在意識を味方につけて)」のカテゴリーで書きました。同じカテゴリーの過去記事は下からご覧になれます。
●<英語>翻訳の面白さを知ってみる(あらためて)。
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今日のブログを書くにあたり、「どんなことが読んでくれる人にとって有益な情報となるのかな」「目新しいと思ってもらえるのかな」と考えてみると、他のブロガーにほとんど書けなくて私・小山ケイに書けるもの、と言ったらやっぱり、私が15年以上に渡って自身で作業をしている翻訳だと思いました。
翻訳会社の経営者さんでブログを書いている人や、留学経験者、MBAホールダーのブロガーはたくさんいる。
けれど、その人たちのなかで、1)ブログを毎日更新していて、2)自分でも実際に翻訳作業をしていて、3)英語圏への正規留学も経験していて、4)なおかつMBAホールダー、となるとほとんどそれって、「あたし(小山ケイ)のことじゃん」。大笑
翻訳に興味のあるかたやまったく異なる分野でお仕事をされているかた、あるいは同業者さんに「うんうん、なるほど」と思っていただける記事になりましたら幸いです。
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私は言葉の面白さを感じて翻訳に関わり始めました。
振り返ると私は、未成年のころから「言葉」が好きだったのだと思います。
言葉を使ってしゃべるのも好きだったし、文章を書くのも好きだった。手紙を書くのも好きだった。
だから、語学の勉強も他の科目よりも好きだった。
国語も大好きでしたね。
そしていまはこうして、ブロガーとして記事を3年以上に渡って書いている。
紆余曲折を経て。
できるだけ英語を交えて、日本語を理解しない人にも目を通してもらえるようにもしながら。
翻訳の面白さはいろいろあります。
専門分野がある人で、たとえば会社員を定年退職した後に翻訳者になる人は多い。
これまでの自分の専門性が生かせるので、その点はご本人にとっても「面白い」と言えるのだと思います。
研究職の人が会社を辞めたり、あるいは副業のようにして翻訳をすることもあります。そういうかたにとっては、専門性が生かせることはもちろんのこと、その書籍や資料なりから新たな発見があって自身の研究にさらに生かせるという「面白さ」もあるかもしれない。
あるいは、村上春樹さんのように、著名な作家さんで翻訳をされるという方もいる。海外の作家さんによる小説を日本に紹介する「面白さ」やその作家さんご本人との交流、海外編集者との交流という、「言葉」そのものの面白さ以外の面白さもあるのかもしれません。
いまであれば、アウトソーシングサイトでOJTで仕事を請け負っていくうちに、翻訳者となる人もおられるのでしょうね。そうなれば、自分が次第にプロの翻訳者となっていくというキャリア形成の面白さが生まれます。
【私・小山ケイが考える、「翻訳の面白さ」】
1) 自分の専門性が生かせる。
2) 手に職、の手ごたえ。
3) 新たな知識や知見が得られる。
4) 人との新たなつながりが生まれる。
5) 言葉そのものの面白さ(母国語・外国語、どちらも)。
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●翻訳者には「書いた人の意図」をおもんばかる能力も求められていると思う。
私が原稿をもらって初めて目を通すときに感じるのは、「さて、これをどう訳していこうか」というわくわく感です。
英語と日本語、どちらの言葉の面白さも感じながら。
もちろん、意訳やクリエイティビティが許される翻訳はわりと限られているので、実務・実用系の翻訳は「原稿に忠実に」が基本です。
そして、「書いた人の意図に忠実に」。
下の過去記事にも書きましたが、“not new”と書かれているからと、日本語訳を「古い」とするのは違う、と私は思います。作者は”old”とは書いていないのだから。「古い」と感じるのは読者であって、書き手はそれを意図しているのかもしれないのだから。
翻訳者はあくまで、「書いた人の意図をくみ取って、別の言語に仕上げる職人」。
私が約20年に渡って自分のことを「職人」だと思い続けた理由はそこです。
このように、いっけんクリエイティビティがなさそうな実務・実用系の翻訳であっても、「書いた人の意図をおもんばかる」という面白さを私は感じています。
自分の想像力を駆使しながら。
つまり、私がこのブログでよく書く、「イタコ」する能力も、翻訳者には求められている、と私は思います。
書いた人の意図をおもんばかる想像力よりも、自分がいいと思う言葉や言い回しに変えてみたい、という人には翻訳者の道はあまりおすすめできません。翻訳者よりも小説家やノンフィクション作家、ライターのほうが向いているんじゃないかな。→ それはそれで、大変な道だけれど・・・。
●いい翻訳者とは、「自分の存在を消せる人」。
「翻訳者に必要な能力は日本語力」「いや外国語力」等、よく耳にします。
でもそれは基本。
プラスアルファでしかも、実用・実務系、文学系、映画字幕、あらゆる分野の翻訳で求められる能力は、「自分の気配を消せる能力」。笑
いい映画音楽と同じです。
そこ、に、じゃんじゃん存在感をアピールしている映画音楽はもはや、映画音楽ではない。
役者さんの芝居や物語もすべて打ち消して、「あたしが・俺がここにいる!」と存在している「映画音楽」。
いい映画音楽は、観客が観終わってから、「あれ、あそこでものすごーく心揺さぶられたけど、あのとき音楽はなにかかかってたっけ」くらいのもの。
翻訳も同じです。
その言語を母国語とする人が読んでみて、「あれ、これって実は外国作品だったの?」と思える技を有する人が、私にとっての「いい翻訳者」。
「なになにするところの」なんて訳したりもせず(笑)、不自然な日本語にもなっておらず、なおかつ、読み手が感じるのは書いた人の存在のほう。翻訳者のほうではなく。
翻訳者には克己心も求められる。
【翻訳者が存在を消す方法 by 小山ケイ】
1) 書き手の意図に忠実に。
2) 書き手が意図していないのであれば、意味不明な言葉で訳さない。古い言葉も使わない。むつかしー言葉も使わない。
3) 克己心。
4) 職人に徹する。
5) 「あたなは私の翼の下を吹く風」はまぁ、よしとする。大笑
【追記】Siriに、「あなたは私の翼の下を吹く風」と言ってみると、「あれ、こだまでしょうか~」がこだまのようにしてくりかえされ、そしてフェードアウト(大笑)。
ほんっと、芸が細かいっ!>Siri開発者さーん(^^)/
らぶゃxxx
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