今日の記事では、母校の青学から単位をもって米国オレゴン大学へ編入学して卒業し、15年以上に渡って「サステナビリティ・ESG・気候変動」などに特化した専門翻訳会社を経営しながら再び青学(大学院)へ戻ってMBA(修士号)を取得した私・小山ケイが、「人は世話になった人よりも、自分を頼ってくる人のように好意を抱きやすい」ということについて書いていきます。
<もくじ>
●「人は世話をしてくれた人よりも、自分の能力や経験を頼りにしてくれる人のほうに好意を抱きやすい」ということは頭に入れておく。 ー 小山ケイの人生ドリル128 He/she tends to treat subordinate beings of “Perfect Requesters (by Kay Koyama lol)” more kindly than persons taking care of him/her, I think.
●自分も頼り上手になる。「ういやつ(愛い奴)」になる。笑 人生ドリルとして。Be a good “depender” (created by Kay Koyama) like a child
●人はなぜ、「世話になった人」ではなく「頼ってくる人」のほうに入れ込むのか?考えてみた。Why do people tend to involve into the persons, or even feel deep love, who depend on them or ask their favors rather than the persons who take care of them? Think parents vs. children.
(このブログの記事内に掲載の写真はすべて、私・小山ケイの撮影によるものであり、著作権はすべて、私にあります。Every photo in each article has been shot by Kay Koyama, myself..)
このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事は「徒然なるままにひぐらし。」のカテゴリーで書きました。同じカテゴリーの過去記事は下からご覧になれます。
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●「人は世話をしてもらった人よりも、自分の能力や経験を頼ってくれる人に好意を抱きやすい」ことは頭に入れておく。 ー 小山ケイの人生ドリル128
長年生きてみて、つくづく感じるのは、「人は自分が恩を感じたり世話をしてもらった人よりも、自分の能力や経験を頼りにしてくれる人に入れ込みやすい」ということ。
たとえば:
★自分の親よりも子。
★上司よりも部下。
★無名の時に手伝ってくれた人よりも、有名(著名)になってから「ぜひお力をお貸しください」と言ってくる人間。
★苦楽を共にした古女房よりも、「部長をとっても頼りにしています!」と満面の笑みで何かと頼りにしてくれる入社3年目の若き女性社員(大笑)。
私の例としてひとつあげると、青学ビジネススクール時代の苦い経験があります。
ある教授の私的ゼミに数年に渡って参加していたときのことです。
懇親会(呑み会)やゼミ旅行を計画するとき、その教授はなぜか私を幹事に指名します。
教授はおそらく私にも役割を与えたかったのだと思います。
他のメンバーはその教授が昔から専門とするビジネスの分野で共通項があったり、博士課程の人間であったりしたからです。
私も催し物を企画することは小学校のころから好きなので喜んで引き受けていました。
忙しい人ばかりの集まりなので、それぞれのスケジュールを確認するだけでも大変でしたが。
ところが。
その教授が某都内の大手書店で平積みになる本を大々的に出版したり省庁の委員会に参加してマスコミにも名前がときおり出るようになったあたりからだったでしょうか。
その私的ゼミにも参加していないうえに、在学中もその教授の授業をほとんど受講していないような人間が教授を頼り始めました。
そのなかに、「サステナビリティ関連の勉強会を開きます!」という女性がいました。
私も顔を知っていますが、彼女が「サステナビリティ」と言い始めたのはつい数年前。
そのはるか前に私が彼女に、「サステナビリティ(持続可能性)や環境CSR関連の専門翻訳会社をしています」と自分の名刺を渡したときは、まったく無反応だった人です。当時の彼女は東南アジアの活動にのめりこんでいました。
そしてある日、くだんの教授から一斉送信メールが送られてきたのです。
「だれそれさんがサステナビリティの勉強会を開きます。参加してください」と。
「そんなことを言いだす彼女はとてもパワフルな人です」との称賛まで添えられて。
二人にどういう接点があるのかよく知りません。
でも私は複雑な気持ちにならざるを得ませんでした。
そのことは以前もこのブログで書いています。
「なんでそんなに彼女に入れ込むの?こっちはサステナビリティの活動を15年以上もしているというのに、教授からは人も仕事もご紹介いただいたことはないわ。骨の折れる幹事もしているというのに」
そんな気持ちにすらなりました。
でも、です。
これだけでは恨み節。笑
私はこれを、自分の「人生ドリル」として考えてみました。
それが、今日のブログの表題です。
「人は世話をしてくれた人よりも、自分の能力や経験を頼ってくれる人のほうに好意を抱きやすい」ということは頭に入れておく。
私はつい最近も、同じような経験をまたしています。
もしご自身がご家族を含めた人間関係において、もやもやとしたものを抱えておられるなら、今日の表題が原因かもしれませんよ。
(と、故・安孫子先生の「笑うセールスマン」風に言ってみます。笑)
●自分も頼り上手になる。「ういやつ(愛い奴)」になる。笑 人生ドリルとして。Be a good “depender” (created by Kay Koyama) like a child.
人を一生懸命世話して終わり、では自分が可愛そうだと思います。
親もそうですよね。
子どもを一生懸命育てたら、子どものほうは結婚して自分の結婚相手や子ども(孫)にばかり夢中。親にはろくすっぽ連絡もよこさない、とか、様子伺いも健康状態の確認もしてくれない、とか。よこすときは「お金貸して!」ばかり、とか。笑
人に対して頼り上手になると、自分の人生が豊かになる。
私はそう思うにいたりました。自分の経験から。
人生100年と言われている時代です。
頼り上手になっていろんな人から好意を感じてもらったほうが長い人生、気持ちよく生きられる。
【どう思ってみるか。自分の思い次第です】
「上手になる」がみそです。
「頼る」ではない。
頼る、ではただの依存症です。
まわりを見ていても、頼り上手の人はいろいろな能力があります。
★相手の自尊心をくすぐるのが上手。
★甘え上手。
★依存ではないので、距離感をちゃんと保っている。
★何を言われても謙虚に受け止める姿勢がある(ようにふるまっている場合もある。笑)
★くったくなく、大胆である(大物に新人が素朴な質問をしたり。幼児の可愛さに似ています)。
こういう頼り上手な人をよく、「憎めない人」「性格が可愛い」とか言いますよね。
時代劇であれば、「ういやつ」。笑
お城や吉原で、お殿様やお客の男が気にいった女性に対して言う、あの「言い方の裏に布団が敷かれている映像が浮かぶ」シーン。
「おぬしもういやつじゃのぉ(ふ・ふ・ふ)」と。
それです。
それをこちらも上手に勉強させていただく。
人生ドリルとして。
あざとく演技をする必要はないけれど、相手に気持ちよく思っていただく潤滑油が「頼り上手」ということ。
もしかしたらこの技は、男性のほうに効果があるかもしれませんね。
時代劇のシーンもそうですが、私が挙げた例も「女性が男性を頼る」ものが多いですから。
1) 相手の能力や経験をよく把握する。
2) 聞ける雰囲気の人間であれば、できるだけ1)に関することを質問してみる。
→ 人を寄せ付けない雰囲気の人間であれば、余計なエネルギーを消耗させられることがありますので・・・。
3) (哀しいけれど)自分が誰かに力を貸した時、「自分が相手に何かしてやった」、という思いは執着。「無償の愛」「見返りを求めない愛」にまで昇華させる。あるいははじめから、それを求めない。執着をすてさるための勉強=人生ドリル、と心得る(私自身へのいましめ、として書いています)。
次に進む。
4) 3)がもしどうしてもできないのであれば、そういう相手とはできるだけ関わらないようにしていく。距離を作っていく。
5) 親も頼り上手になる。笑
→ 立派に子どもを育て上げたのであれば、今度は子どものほうに自分の保証人になってもらったり、孫が遊びに来てくれる雰囲気を常に作り出したり、最新の機器やアプリ、SNSの使い方をとことん、教えてもらったり。
「お金貸して」だけの連絡をよこす子ども(成人)にはきっぱり、意思表示をしつつ、自分も子どもを利用させてもらう。→子どもを育てた経験を事業やボランティア活動に生かしたり、地域の子育て世代の相談役になるなど。
6) うんうん、とうなづきながら、一生懸命メモを取る。
→ 青学ビジネススクール時代によくやりました。グループワークのとき。
自分の言うそばから、自分の言うことを熱心にうなづきながらメモを取られて、悪い気がする人間は少ないと思います。
7) 「ういやつ」になる。
→ 時代劇の「ういやつ」は、「あなたにはあふれんばかりの能力や経験があります。私にぜひその点をおしえてください」と表現しています。遊女しかりお城の女中しかり。
下から見上げるような目線とともに。
●人はなぜ、「世話になった人」ではなく「頼ってくる人」のほうに入れ込むのか?考えてみた。Why do people tend to involve into the persons, or even feel deep love, who depend on them or ask their favors rather than the persons who take care of them? Think parents vs. children.
私が自分の実体験から思う理由の一番は、「自尊心がくすぐられるから」。
世話になった人に対しては自尊心よりも自分が一段、下がるような感覚になります。
敬語で言えば、「謙譲語」。
自分を一段さげて表現する敬語です。
だからこそ、孔子(儒教)やキリスト教も「父母を敬え」とわざわざ言う。笑
意識して道徳として宗教上の教えとして「親を大切にしましょう」と。
ともするとぞんざいに扱いかねないから。
親の愛を当然視しかねないから。
頭が上がらない、とも言います。
文字通り、自分が下になっている。
これが子どもであれば、無償の愛や無条件の愛で接するかたが多いと思います。宗教でわざわざ「自分の子を大切にせよ」と説くまでもなく。あくまで一般的なことですが。
でも、頼み上手な人からは、自分が立てられているような気がする。
だから、頼み上手な人から頼まれたほうが相好崩して気分良くなる人が多い。
幼い子どもに頼まれて嬉しくなったり、新人さんに頼まれてつきっきりで世話してやったり。
【私が思う「理由」】
★自尊心がくすぐられるから。
★自分が最上級で大切に扱われているように感じるから。
★自分がよりいっそう、高いところにいるような気がするから。
★「いいかっこしぃ」になれるから。
→ 前述の私の例で言えば、「人集め」を教授がすることで、教授はくだんの女性に力を貸したことになります。
★自分がモテたような気になれるから。