1年後、3年後、5年後、10年後など、「どうなりたいのか。どうなってるのか」を自分のなかで明確に描く。Clearly imagine what I am supposed to be/do one, three, five, and ten years later.

●1年後、3年後、5年後、10年後など、「どうなりたいのか。どうなってるのか」を自分のなかで明確に描く。

わたしの経験から。

自分が明確に思い描いた「どうなりたいのか。どうなってるのか」は実現することが多いです。

実現しないことは、後から振り返るとこんなこと。

1 必然性がない(叶える必要がない)。

2 実現しないほうが私にはよかった。

3 狭き門。笑 → 20代のころ、どうしてもシナリオライターになりたくて、修行しながらコンクールへ応募し続けた。「ど真ん中の直球」は想像以上に「同じことを思ってる人(している人)が多かった」。プロになった人の経歴をみると、プロのもとでアシスタントをしたりテレビ局や制作会社に勤務しながら、必要にせまられてシナリオを書き始めた、という人もいた。狭き門は狭き門。ほかの入りやすい門や戸口もある。

 

1と2はかなわなくてよかったのですから、こういう経験からもやはり大いなる存在を感じますね。むりやりやろうとしてもダメなのです。なぜか、こういう「かなわなくていいこと」は。天の大いなる存在が「おまえさんにはそれは必要ないよ。かなえないほうがお前さんの「人生ドリル」には大切だから」と言ってるのだと思います。

3は紆余曲折をへて、違う方で実現するかもしれません。笑 80歳くらいになったら。

それも、たとえば最初に映像を作ってて、書籍化するからシナリオにした、とか。変わったなり方ではありますが(本を一冊でも出版した人が「作家」と呼ばれるのと同じです。どんなジャンルの本であれ)。

それはそれで、すごーく楽しみ。

人生のだいご味ですね。

そして、私らしいと思います。

とんとんとん、とはいかない。何事も。私の場合。

 

(紆余曲折を経て、何年もたってから実現する、ということを、私はこれまでの長い人生のなかで何度も何度も経験しています。よって、還暦になったら大学院へ戻って博士課程で博士号をとろうか、とも思ってます。とんとんとん、と行くかたたちが20代前半くらいで博士課程に行くのとは違い。シングルプレーヤーレベルになって再度、スコットランドの「聖地」オールドコース (St. Andrews)へプレーしに行こう!と思うのも還暦。前回はゴルフ仲間たちのおかげでプレーさせてもらえましたので。まだまだおっちねません)

●明確な設定の仕方。

1 まずはクリアな状態で、「必然があるのか」「本当になりたいのか」確認。

2 必然性がある、現実化したほうが良い、と思えるのであれb、具体的なイメージを思い浮かべ始める。イメトレ

3 2は新進がゆったり、リラックスしている状態であるほどかないやすい。無理やり、「絶対叶える」などと力むのではなく、呼吸法や瞑想をしながら、そのイメージに鮮明な色付けや輪郭を描きながら、ありありと思い浮かべる。

4 それに関連する写真や書類、書籍などをことあるごとに見る。

5 4までの段階で、気持ちが高揚したり、わくわくしたりしているか、確認。

6 5の気持ちが強くあるのであれば、それを大切にする。感謝が生まれるはずだから。なぜなら、「すで に叶ったこと」と思えるはずだから。

上記はすべて、私の実体験ですが、とくに4から6は私が子どものころからやってきた方法です。高校生のときは4から6を無意識ながらやりつづけて、私は念願の推薦入学(青学)をしました。