今日は、「理論よりさきに体験・経験することの大切さ」について書いています。
昨日は下の記事を書きました。
●まずは自分で体験・経験する。アタマで理論をこねくりまわすよりまえに。
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ヨガが人気(とくに女性に)なのは時代が心身の統一を求めているのだと思うと、「アタマ」に偏った時代から軌道修正が起きているのでしょう。とくに先進国で。
その点は私はいいことだと思います。とにかく、何事も頭から始める人はものすごく多いので(とくに男性)。
たとえば英会話。
私は大学入試にはとんと疎い人間ですが、なんでも国立大を受けるときの試験に英会話のようなものが入ってくるという話。
その実施が延期されたとのことで、これについてああでもないこうでもない、と言うかたを見かけました。
さらに。理論や文法で英会話をあーでもないこーでもない、というかたもよく見かける。
でも私はこういうかたたちを前にすると、ものすごーく、思うのです。
「でもおたくはしゃべれないですよね、英語」。
おそらく、アタマでモノを語るのは、自分の経験のなさを補うのに手っ取り早いのだと思います。
数字や数値を使ってみたり、「なになに論」を使うといっけん、もっともらしく聞こえる。
それにさらにヨコモジが入ってくるとなおさら。
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でも、自分で実際に体験したり経験することって大切です。ものすごくいろいろなことを教えてくれるから。そこから得るものが大きいから。こういうこと、学校じゃ言わないと思うけれど。
1) 実際に自分で体験することと理論なり数字なりを人から聞くこととは違う。
たとえば「カルチャーショック」。これは、実際に経験するのとアタマで語るのとではまったく別物です。
「国・地域によって文化は違う。社会慣習は違う」と言える人は多いですが、ではどんな風に違うのか、それがどう人に影響するのか、そういう文化や社会慣習があるのはどういうことが考えられるか、そしてそこから、異文化の人たちとどう接していくのがいいのかは、自分が実際に体験・経験してみるからこそ言えることが多い。自分の感覚を通して知るから。
語学の会話もそうです。英語なら英会話を習得して、不自由なく話せるようになる「感覚」を養うのと、アタマで「こういうものなんだ」と理論や文法をこねくりまわすのとでは、まったく違います。
英語圏でわりとどこに行っても英語が通じるときのあの心地よさと楽しさ!
もちろん、今の時代なら海外YouTubersやNetflixの海外ドラマを字幕なしで楽しめる可能性も広がります。
意思の疎通が図られたときのお互いの満足感は、理屈ではないです。
2) 自分で体験・経験すると感覚が研ぎ澄まされる。
先進国は脳化しているせいか、アタマを使うことが感覚や直感・直観よりも重視されるようなところがまだまだ多いですが、体験や経験は自分の感覚をよりどころとします。
理屈では理解できないことが多いからだと思います。考えるより動かなければならないことも多いし。
たとえば、車の運転。道路のスピードに乗って運転したり、状況を把握したり、車体感覚をとらえたり。そのほとんどは、感覚を頼りにしています。アタマじゃない。アタマつかってあーでもないこーでもない、といってるひまなんかないです。
ゴルフもそうですよ。
あーでもないこーでもない、と理屈をこねくり回すゴルファーもおられますが、ゴルフは「感覚のスポーツ」です。まずは。
3) 自分の「カラダ」が語りだす。自分のカラダとの対話。
経験することを大切にして実査に経験・体験するようにすると、理論理屈ではなく、「体感」や「感覚」が人にとってものすごく重要なのだということがわかります。自分の体は如実に語り始めますので。
本当は、つねに語っているのです。けれど、アタマ(脳みそを使うこと・顕在意識)のほうを重視しているがために、多くの人は自分のカラダが語っていることに気づきません。
風邪のひきはじめなんか、そうですよね。アタマで感じるよりも実は、カラダのほうが寒さや疲労感を感じていたりする。だから、悪寒、節々の痛み、鼻水、のどの痛み、くしゃみ、などで知らせてくる。「もうすこしで本格的な風邪をひきますよ」と。カラダは。
感覚が研ぎ澄まされだすので、「ひらめき」や「アイデア」もよく降ってくるようになります。予知能力にも見た不思議な力を感じることもあります。「そっちはいっちゃいけない」「これは早くやっといたほうがいい、としきりに感じる」などなど。
ホントですよ。
4) 同じ轍は踏まなくなる。
人が研究して導き出した理論や数値には感情がありません。失敗談もありません。だから私たちは感情を動かしません。
そのせいかもしれません。それだけでは自分のこととして納得できないことがあります。
でも自分で実際に経験したり体験したことなら、そのときは痛みや恥ずかしさが伴うことだったとしても、そこには「感情」が生まれやすい。
だから、自分の奥底に刷り込まれます。
同じ轍は踏みにくくなる。
人との待ち合わせは早め早めで余裕をもってその場所に行くとか、雨や雪の日は交通網がマヒしたり遅延があったりするから、「定刻に来る」ことを期待しないとか、三寒四温で春先や冬にかけては気温の変動が激しいから脱ぎ着しやすい服装にするとか。
首都圏の長いエスカレータがラッシュ時に「きれいな左一列のライン」になるのも、人々の経験に基づいているといえるでしょう(急ぐ人がいるから右を空ける。エスカレーター上を歩いていく人たちのために右側(関西なら左側?)を空けるのが暗黙の了解となっている)
5) 自分軸や審美眼が出来上がる。
●クセをつけてみる。「まず、体験する・経験する」と。頭をからっぽにして。
頭のいい人や理論好きのかたはどうしてもアタマでものを語り始めやすいです。私の経験上。
でもだれでも子どものときは多かれ少なかれ、カラダでものを学んだはずです。あそんでいるときに転んで擦り傷を作ったり、ブランコから落ちて腰をしたたか打ち付けたり、夏に走り回ってたら蚊にえらく刺されたり。数え上げたらきりがない。
子どものときはアタマで考えることに慣れていないし、大人びた理論なんてもちろんまったく知らないから。
だからこそ、子どものころは本当にたくさんのことを学びました。
体験してみたり経験してみたりすることは「童心に戻ること」とも言えます。アタマをからっぽにして目の前のことをそのまま、受け入れる。そのまま、体験・経験してみる。
私はクリスチャンではありませんが、聖書はよく読みました。そのなかに、「子供のような心(童心)を持った人は幸いである」というようなことが書かれていて、それはいまでも私の価値観に影響を与えています。
体験する、経験すると、反射的に行動したり、アタマで考えるよりも行動しやすくなったりします。だから、いっけん複雑な状況と思えるようなことが目の前に現れても、冷静に、適切に、解決しやすくなったり。
そのためにも、日頃から簡単な訓練をちょくちょくすることを私はお勧めしたいと思います。
★おいしい、と評判の食べ物について、実際に体験・経験してみる。
★自分が入れ込んでいる趣味の「メッカ」に足を運んでみる。聖地巡礼。ゴルフであればSt. Andrewsへ実際に、行く!
★噂であまり評判がよくない身近な人について、そのままうのみにするのではなく、機会があれば「なぜ」を自分でさぐってみる。その人と話してみることで。→ ぶっきらぼうな人とかぞんざいなものいいの人は誤解されやすいです。たしかに一瞬、「え」と私でも思いますが、でも実際によく話してみると、裏表がなくて、先回りして物事をしてくれたりするひともいますよね。
★トランプ大統領うんぬん、といっぱしのマチュア政治評論家になるのだったら、実際にアメリカに住んでみる!そして自分の目で確かめてみる Just DO it!
★音楽が大好きならぜひ、楽器の演奏にも挑戦してみてほしい。楽しいですよ。もちろん、好きなミュージシャンのコンサートに実際に足を運んだり、作曲してみたり、歌を歌ったり、曲をプログラミングしてみたりすることも、「実際に体験・経験すること」です。
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“実際に「体験・経験」してみることの大切さ。そしてそこから導きだされること。5つ。” への1件の返信
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