今日の記事では、母校の青学から単位をもって米国オレゴン大学へ編入学して卒業し、15年以上に渡って「サステナビリティ・ESG・気候変動」などに特化した専門翻訳会社を経営しながら再び青学(大学院)へ戻ってMBA(修士号)を取得した私・小山ケイが、「人間関係がうまく行く方法」と題して書いていきます。
<もくじ>
●「かゆいところに手が届く」。小山ケイの「人間関係がうまく行く方法」2 – KAYUI-TOKORONI-TEGATODOKU, literally meaning “I’ll scratch your itchy areas before you ask me to do so (lol).”
●気を付けたいのは、なんでもしてあげる、ではない。It’s actually “itchy areas,” i.e. trivial but wanted kindness, NOT significant matters such as others’ “Life journey.”
このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事は「徒然なるままにひぐらし。」のカテゴリーで書きました。同じカテゴリーの過去記事は下からご覧になれます。
●「かゆいところに手が届く」。小山ケイの「人間関係がうまく行く方法」2 – KAYUI-TOKORONI-TEGATODOKU, literally meaning “I’ll scratch your itchy areas before you ask me to do so (lol).”
日本語には、「かゆいところに手が届く 」という表現があります。
まさに、かゆいよぉ、と人が言うまえにそこに手をさしのべる。
孫の手のごとく。
それは、人が望むことを細やかにくみ取って配慮することを意味します。
こまやかな気配りに近い。
気配りとの違いは、「あぁ、そんなこともしてくれるんだ!」という驚きにも近い感動がある。笑 便利グッズの発想みたいなもんですね。
その人がそれをご自身で欲していることにすら気づかなくても、その人に代わってそれに気づくぐらいの高レベルの配慮です。キモはあくまで、「相手がそれを欲している」ということ。望んでいないことをするのは「親切の押し売り」です。
KAYUI-TOKORO (“lathy areas” in Japanese) means what the others truly want whether or not they recognize it consciously rather than unwanted things.
「かゆいところに手が届く人」は、人間関係においてうまくいくことが多い。私のまわりの人や実体験からもつくづくそう、思います。
★クライアントがのぞむことに対して、細やかに対処する。提案も含めて。→ 納期の前倒し、完成した部分から随時、納品。
★居酒屋にて。むこうにあるお箸がほしいなぁ、と思ってると、絶妙のタイミングでその近くにいる人が「お箸いるでしょ?はいどうぞ」と手渡ししてくれる。テレパシーを感じたかのように。
【かゆいところに手が届く人になるには】
★タイミングに気を付ける。
★相手が欲していることはなにか。
★感動を与えることを頭の隅に入れておく。
★押し売りではない。相手が「おお、ちょうどよかった」と思えるレベルかどうか(そして、いい人であれば、「ありがとう!」といってもらえるレベルかどうか)。
★杓子定規に考えない。
かゆいところに手がとどく人は、このAI時代に重宝します。なぜなら、機械はそんな配慮ができないから。「かゆいところ」はまさに、イレギュラーなかゆみなのです。
●気を付けたいのは、なんでもしてあげる、ではない。It’s actually “itchy areas,” i.e. trivial but wanted kindness, NOT significant matters such as others’ “Life journey.”
相手が自分でしなければならないこともあります。
たとえば、その人の人生。
人生そのものは人それぞれ、自分で生きるものです。その人のかわりにその人の人生を生きようとすると共倒れします。共依存はその状態です。
かゆいところとはまさに、小さなパートでなんとなくムズムズするなぁ、というところに他人が手を差し伸べるということ。よくいったもんです、「かゆいところ」なんて。笑 いつの時代の人でしょうか。
★自分でおとしまえつけるところはその人がする。
★あくまで、小さな親切で相手に喜ばれること。
★そうすることで、相手と自分の距離感が少し縮まる程度でよしとする。
★それが積み重なれば深いつながりになるかもしれないけれど、基本は「袖すりあうも他生の縁」。
★上記の「おお、ちょうどよかった」が積み重なることで、「このひとはかゆいところに手が届く人だ」となる。
★かゆいところに手が届く人は積み重ね。一顧の親切ですぐにそうなるわけではない。