●瞑想する ー小山ケイの2024年元旦備忘録から。Meditate everyday as much as possible.
元旦にかいた自身の備忘録から。
ときおり鎌倉の古寺で座禅を組んでいます。
地理的にそれが叶うところに住んでいる恩恵だと思っています。
でも、古寺に行かなくても瞑想はできます。
毎日。
どこでも。
何をしてても。
それが、私の言う「毎日、瞑想する」ということです。
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私が米国大学に留学していたとき、日本美術史の教授(アメリカ人)がこう教えてくれたことがあります。
「『瞑想』を”Meditate”と訳すことが多いけれど、私は”Comteplate”と言いたい。Meditateだとなんとなくぼんやりと考え事をしているような感じがするけど、Comteplateだと(座禅を組みながら)意識を意志を持ってそれをしていることが表せる」
どちらが日本語の「瞑想」の英語訳として良いかは置いておいて、「瞑想」という言葉が持つ奥深さを言い当てているようで興味深く感じましたね。
何も考えないのでもない。
(だいたい、それはほぼ不可能です。笑 一般人として生きていれば)
意識はしっかりもちつつ、その意識をネガティブな思いやいわゆる「雑念」から解き放つ。
●なぜ、瞑想するのか。一般人の私が。
どうどうめぐりですが、ひとえに「豊かに、幸せいいきるため」です。
それも、できればより多くの他者とよりよい社会生活を送るため。
他者
家族、パートナー、友人知人、ご近所さん、職場の同僚、上司、SNSのコミュニティの人、袖すりあうも他生の縁の人、
1 瞑想することで、自我がどこかへ追いやられることがあります。
2 あるいは、心が落ち着くせいか、ポジティブで利他的なアイデアが降ってくることもある。
3 自分に「GIFTS」を無意識に再確認し、それと自分の能力をどう組み合わせるか、がふってくることがある。
4 さまさまなアイデアがふってくる。
上記の1-4は、瞑想中のこともあれば、瞑想後のこともあります。