今日の記事では、「あまのじゃくになる」ということについて書いています。
<もくじ>
●あえてあまのじゃくになってみたほうがいいときがある。
●まともでものわかりのいい人間ほど甘えられることがある。だからあまのじゃくになってみる。
このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事はカテゴリー「徒然なるままにひぐらし。」で人生ドリルシリーズとして書きました。
(↑↑↑「お名前.com」は、我が母校青山学院の駅伝チームOB森田くん、下田くん、一色くん、林くん等々が就職したGMO提供です!私がひそかに応援してきた島貫温太くん(帝京大)も今年からGMOチームメンバーに!そしてなんとなんと、吉田祐也@しゃー!2020箱根4区区間新&別大マラソン日本人1位も!(ブルボンはこっちで毎日ひきうけまっせ>子どものときから大好きルマンド&チョコリエール!)
島貫と共にこれからも頑張っていきます🎓🏃♂️
やりたい事は沢山ありますが、何もよりも地道に愚直に、です! https://t.co/DWXghKubUs— 吉田 祐也 (@Fighter0423) April 1, 2020
本日よりGMOインターネットグループ、GMOアスリーツに所属になりました。
自分のやるべき事をしっかりと全うし、会社、チームに貢献できるよう、そして同期の祐也と一緒に頑張りたいと思います!https://t.co/ttPHsHnyJihttps://t.co/S5UthbpN4L pic.twitter.com/B5TAnXfMof— 島貫温太 (@s_atsukun) April 1, 2020
●あえてあまのじゃくになってみたほうがいいときがある。
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「あえて少数派になってみる」と題して記事を書いたこともあります。また、「大勢がいい、というものはなぜいいのか、自分の目と頭で確かめてみる」と書いたこともあります。
小山ケイ過去記事】小山ケイの人生ドリル16-あえて少数派になってみる。
あまのじゃくはそれらとはことなり、少数派になることにさらに「ひねくれもの」や「かわりもの」のような要素も加えたような状態です。笑
あまのじゃくになってみたほうがいいとき:
1) 手ごわい相手(とくに、ひとくせもふたくせもある相手)に対して自分の存在を大きく植え付けたいとき。理不尽で道理が通じない人間を相手にするとき。
2) なぜかしらないけど、何も考えずに大勢がひとつの方向に向かおうとしているとき。
3) 「あなたも当然、これをえらぶよね」とさいしょから押し付けられるとき。
4) 後出しじゃんけんの反対意見しか言わない人間を目の当たりにしたとき。
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討論(debate)の手法で「Devil’s advocate」というものがある、ということについては以前、このブログで何度か書きました。あえて反対意見を言う側にまわることです。何かを生み出す話し合いの場で、後出しじゃんけんで「それには反対です!」と反対し続ける人間を私はまったく買いませんが(笑)、ときには彼ら・彼女らのあまのじゃくさを真似することも必要です。
小山ケイ過去記事】会議や討論にて。なにかを生み出すことが目的の集まりでは、人の意見に反対してはいけない。
小山ケイ過去記事】小山ケイの人生ドリル5-他人の、そして自分のエネルギーの流れに注意する。
というのも、このブログで書いたように、大声で反対し続ける人間は、なぜか注目されるからです。なぜか存在感を発揮するからです。「いつも反対ばかりしている」とまわりは思いながら、彼ら・彼女らの存在を無意識に認めている。それが悪い感情であったとしても。
1)から4)はともすると全体主義に向かいがちです。全体主義ほど恐ろしものはない。第二次世界大戦に突き進んだ日本を見たらわかりますよね。
他人を十把一からげに扱って自分の思う方向に操作しようとしたり、他人の人格を否定してでも大勢のなかに組み入れることを強いたり。そんなときにあえてあまのじゃくに反対意見を言い続けて存在感を発揮する。大声を出し続けて注目してもらう。
たとえば、こんなときです。
◆「日本国民はすべてテレビを観ている」「テレビから簡単に洗脳できる」、と思っているふしが感じられる政治家、芸能人、企業、二世三世タレント・議員、社長、じーさん等等を目の当たりにしたとき、SNSやブログ、動画サイトで大声で「テレビのばかやろー」と言ってみる。フォロワー数が天文学的な人であればあるほど、影響力大です。
◆会社員がいちばん偉いんだとほめそやす大学教授、自分が学部で大学生として入学した大学から一歩も出ずに博士号をとり、その大学に就職して完結している大学教授、博士号を持った人間が世の中で一番偉いんだといいたげな大学教授などを前にしたとき、反対意見を本人に言う。あるいはク●じ●いと陰口を言う。
◆なになに業界の大物をまえにしたとき。清水の舞台から飛び降りるつもりで、反対意見を言う。エスタブリッシュメントへの反抗です。笑
◆後出しじゃんけんで反対し続ける人間を目の当たりにしたとき、「おまえの後出しじゃけんに反対する」「おまえの根性が大っ嫌いだ」と大声でいってみる。
◆わがままな人間のほうをよいしょし、まともでまじめな人間に我慢をさせる指導者や上司と対峙するとき、「いいかげんにしてもらえますか。不愉快きわまりないんで」と容赦なくわがままを言う。
あなたのまともさやものわかりの良さに甘える人間ってけっこういませんか?
●まともでものわかりのいい人間ほど甘えられることがある。だからあまのじゃくになってみる。
骨が折れることを頼んだり、自分の愚痴をきかせたり、自分のとりまきをつくったりしたいときなど、まともでものわかりのいい人間ほど利用されることがあります。これまでの私の人生において、そんな場面をたくさん見てまいりました。
◆だれそれさんは文句をぜったい言わない。だからこの大変な仕事を彼・彼女にまかせよう。
◆高い学位や高い位を有する人間には頼みづらいからと、こまごまとした仕事をそれよりさらに下の学位や位の人間で「頼みやすい雰囲気のある、まともでものわかりのいい人間」に頼もう。
◆だれそれさんは性格が温厚でやさしいから、自分がどれだけすごい人間か、どれだけできる人間か、誇示してストレス発散しておこう(マウンティングと八つ当たり)。
◆自分が目にかけている人、かわいがっている人が何かの催し物をするとき、頭数揃えるために「従順で、その催し物をする人間の下におくことができて、もちあげる必要がなくて、声かければなんでも来ると思える人間だけに声をかけよう」。
私も、性格が温厚で優しい人にはつい、好意から心がよりかかりそうになったり自分のことをたくさん話してしまうことはあります。それはそのかたが話しやすい雰囲気を有してくれているからです。そのかたが人としてできているからです。
けれど、だからといって自分の愚痴をそのかたに延々と聞かせたり、八つ当たりの対象にしたり、理不尽なわがまま人間をよいしょするためにその人を犠牲にしてないがしろにする、ということはさすがにありません。それは甘えだと思っているからです。
好意と甘えとは違う。だのに、それをはき違えるひとはけっこう世の中にいるんですよね。長い長い社会人人生のなかでつくづく経験しました。
「文句を言われない、逆恨みされない、面倒くさいことを言わない、小難しいことを言わない、気を遣う必要がない。だから、相手をないがしろにしても大丈夫。その反対の人間さえ大切に扱っていれば。その反対の人間さえ全員のまえでよいしょしておけば」
どうですか?こんなことを思っていると思われる人、周りにいませんか?上司はどうですか?教師はどうですか?教授はどうですか?習い事の先生はどうですか?趣味の集まりはどうですか?何とか会の青年部や婦人会はどですか?
私の回りでも、博士号まで取った人間でまわりから「変わった人間」「小難しいことを言う難しい人間(性格が)」と受け取られている人がいます。ある人はその人間をよく持ち上げるのですが、何かの催し物をする際には声をかけない。笑 呑み会すら呼びません。
ふぅん、と私などは思いますね。
甘える人間には意思表示をしないと、勘違いされたままだと思います。「私はあなたの態度に腹が立ってます」「そんな扱われ方をしてむかついてます」だから、反対する。あまのじゃくになって。小さい子どもが反抗期にだだをこねるように。自分の存在をアピールするために。
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“小山ケイの人生ドリル28-あえて「あまのじゃく」になってみる。Say no intentionally.” への4件の返信
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