分析グセをやめてみる。ときには。ー小山ケイの人生ドリル147 Stop analyzing or even logical thinking.

「分析グゼをやめてみる」

今日の記事では、母校の青学から単位をもって米国オレゴン大学へ編入学して卒業し、15年以上に渡って「サステナビリティ・ESG・気候変動」などに特化した専門翻訳会社を経営しながら再び青学(大学院)へ戻ってMBA(修士号)を取得した私・小山ケイが、「人生ドリルシリーズ」として書いていきます。

<もくじ>
●分析グセをやめてみる。ときには。ー小山ケイの人生ドリル147 Stop analyzing or even logical thinking.
●人間の分析グセとは。People, including me, analyze like this.
●非論理的なことも受け入れてみようとする気持ち。Accept even illogicality.

このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事は「徒然なるままにひぐらし。」のカテゴリーで書きました。同じカテゴリーの過去記事は下からご覧になれます。(107-0052 東京都港区赤坂5-5-9 1F MBE114 小山ケイ)

●分析グセをやめてみる。ときには。ー小山ケイの人生ドリル147 Stop analyzing or even logical thinking.

もはや、分析することは私の人生の一部と化しています。

いろんな出来事を分析する。

自分のことも、世の中のことも。

そして、コンピュータのように分析能力の高いかたもおられる。

私が修士号を取りにいった青学ビジネススクール(青山学院大学大学院国際マネジメント研究科/ABS)は、そういうかたたちがたくさんいました。

でも、はたと気づきました。

「分析グセやめると、いいこともあるじゃん」と。笑

座禅や瞑想、その専門家、メンター、グルのおかげです。

自分のさまざまなエネルギーが活性化させるような気がしてきます。

「7つのチャクラの活性化」かもしれません。

★ひらめき

★自分の女性性に根差した性エネルギー

★生命力

★不思議な予知能力(ビジョンをともなう)

★多幸感(クスリはやってないのに。笑)

★自分に対する意識

★自分への愛

★他者への愛

★自分の思考への感度が強化(客観性)

★自分のエネルギーのほこさきへの感度が強化

★荒唐無稽とも思えることすら受け入れてみようとする気持ち。

★健康や体調の良さが維持できること。

分析グセをやめることのなにがいいかと言うと、現世では「非論理的」だと言われていることすらをも受け入れる力が自分に備わるということです。

極端な例で言うと、「西洋医学では完治不可能といわれている病気すらも治す力を活性化させる」。

さらに、私の場合でいえば、体調がよかったり頭痛が軽減されることが多くなる点も良い。

未成年のころから頭痛もちで、何度となくひどい頭痛におそわれてきましたが、それらが「自分の分析グセ」にも基づいているー つまり、昨日や過去におこったことをあーでもないこーでもない、なんでそんなことが起こったんだ、また起きたらどーするか、等々 ーということに気づいてからそれをやめると、症状が和らぐことも増えたのです。

●私が思う、人間の「分析グセ」とは。People, including me, analyze like this.

★目の前にあることを分析する。

→ おいしい料理を口にして、それが「なぜ」おいしいのか、考え始める。

★人の話を聞いていて、それについて分析しはじめる。

→ 「きみがそう思うのはうんぬん」

→ 「だったらこーしたほうがいい、あーしたほうがいい」と説教しはじめる。

→ 「きみがその芝居に感動したのは、ここの部分でこういう仕掛けがあって、音楽がこうあって、舞台装置がこうなってて、役者がこういうセリフ回しで言って、照明がこうなってたから。それらが重なった瞬間、人は感動するものなんだ」うんぬん。人の感動すらをも論理的に分析しようとする。

★世の中について分析しはじめる。

→ 「世の中、にわか評論家だらけ」と言われるのは、分析グセの人が多いからかもしれません。

★非論理的なことはこの世にない、と立証し始める。

→ 「シンクロとかいって、ゾロ目もなにかスピリチュアルな掲示として受け取る人がいるけど、それって単に、ゾロ目を探すことに意識が行ってるから。本当はゾロ目なんていくらでもめにしていることだ」

●非論理的なことも受け入れてみようとする気持ち。Accept even illogicality.

子どものころ、私は札幌に住んでいました。

家にはペチカがあり、そのペチカには小さな煙突がついていました。子どもの私ですら入れないくらいの細い煙突です。

私の母親はこう私に言ったものです。

「この煙突を通ってサンタさんはクリスマスにプレゼントを持ってきてくれるんだよ」。

私もさすがに、「えっ、だってこの煙突、すごく細いよ。どうやって入ってくるの?サンタさん」と不思議になって聞きました。

すると母親は、「サンタさんはなんでもできるの。だから体をするっと煙突に入れて入ってくるのよ」とこともなげに説明しました。

そして私は納得したのです。

「ふぅん。そうなんだぁ」

それから、天井から外に突きだしている煙突をみながらイメージを膨らませては、クリスマスを楽しみにしました。

そして、サンタさんは本当に毎年、私が寝ている間に枕元に来ては、プレゼントを置いて行ってくれたのです。

小さい時の私はこうやって、自分の願いを叶えてきました。

わくわくとした気持ちを大切にしながら。

「サンタさん、今年もプレゼントをよろしくお願いします。今年はリカちゃん人形のソファがほしいです」

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願いを叶える、というと論理性に根差した、現実的なことばかりを考えがちです。

大人になるととくに。

でも、それがたとえ紆余曲折をへようとも、荒波に呑まれようとも、おとなの合理的な思考からすると「たね明かし」があろうとも、最終的には願いを叶えている、ということを私はたくさん経験しました。

分析は大切です。

私は自分の分析能力をうんと鍛えたくて、母校の青学にMBAを取りに行ったほどです。

数字を分析したり、経済の動きを分析したり、世界情勢を分析したりすることで、自分や自社、自分をとりまく人たちの経済状態、日本経済、ひいては世界情勢も安定する可能性につながる行動がとれる。

幼い子どものようになんでも鵜呑みにしてたら、大人になっても世の中で右往左往しかねない。

でも、「生きる」ということ、つまり自分の人生という道のりを天寿まで歩き続けるには、ときには分析することをやめてみる、ということがどれほど自分を豊かにしてくれるか、ということにも私は自身の日々の修行や体験から気づきはじめているのです。

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