今日の記事では、約20年間「在宅ワーク」をしている私が「組織のテレワーク」について書いてみます。
<もくじ>
●在宅ワークを始めてはや20年がたちました。組織におけるテレワークを考えます。
●私が思う「テレワークが今後の働き方として主流となるために必要なこと」。
このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事は「新しい生活様式・仕事形態に向けて」のカテゴリーで書きました。働き方改革やリモートワーク・ノマドについて私が思うことについては以前、下の記事で書きました。
●在宅ワークを始めてはや20年がたちました。組織におけるテレワークを考えます。
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私が在宅ワーク(「remote work」「ノマド」のやりかたも含めて)を始めて約20年の月日が流れました。
いわゆるコロナ禍による「新しい生活様式・仕事形態の模索」によって、多くの企業・会社員のかたたちがテレワークを始めています。
今後このブログでは「テレワーク」や「新しい生活様式・仕事形態」などについて、おもに私の実体験を交えながら書いていきたいと思います。
模索されているかたのお役に少しでも立つことを願って。
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自分のことでありながら私も「在宅ワーク」「テレワーク」とわりとおおざっぱに考えていました。
ところが、この1か月ほどの間でしょうか、企業や組織が「テレワーク」を推進し始めてからしばらくして、人間関係にストレスを感じたり問題が顕著になったりするケースがだいぶ取り上げられるようになりました。
人々が出勤・通勤していたときとはまた違うケースです。
たとえば、「いま仕事モードでパソコンに向かっているか」メッセージが逐一飛んできたり、オンライン会議で映しだされるプライベート風景に「他人」という同じ会社の人間が介入(?)してきたり。
ご自身における「プライベートと仕事との線引きが難しい」というかたもおられることでしょう。
コロナウイルスが日本で拡大する直前まで、日本では「働き方改革をしましょう」といいながら、打つ手打つ手がなかなか成果に結びつかなかったといえます。
時差出勤やフレックスタイム制、在宅・テレワークの推奨、時短、ワークシェアリング、仕事そのものの見直しなどなど。
組織は大きなことが大勢でできるというダイナミズムがありながら、人間関係の軋轢ややり方・性格の不一致などという負の側面もあります。人間が二人以上集まれば問題が生まれることは多い。それはなにも仕事に限りません。
それぞれのプレーヤー、ステークホルダーによる思惑もあります。
けれど、今回の世界的な出来事によって、日本の組織・仕事人は半強制的に「働き方」について考え、そして行動しなければならなくなりました。コロナウイルスが人を介して感染拡大するウイルスである限り、「人との物理的な接触」を回避せざるを得ないからです。有効なワクチンが開発されていないいま現在。
ほぼすべてのことにおいて、「初めての試み」は試行錯誤が必要です。トライアンドエラーともいえる。行動しない限り、前には進めません。
私たちのほうでも経験することによって微調整が可能になります。
私も東証一部上場の銀行員として、組織の人間関係に振り回され、苦しんだ経験が若いころにあります。それゆえ、組織人のかたたちが悩まれる姿にはつい、自分の姿も重ねてしまいます。「うんうん、気持ちわかる」と。
上記の例でいえば、上司からすれば初めての試みということもあり、相手の姿が見えない分、本当に部下が自宅で仕事をしているのか、気が気でないのだと思います。その名の通り「管理職」に多いのではないかな。逐一確認してくる人は、社長や会長などではない。
一方で部下の側からすると、在宅であるがゆえに自分のプライベートな諸事情が仕事と同時に自分の目の前に現れることとなった。小さな子どもさんがいれば、仕事中に子どもさんの用事ができたり。介護されているかたであれば、親御さんを病院に連れて行かなければならなくなるとか。そんなときに逐一「本当にいま仕事をしているのか」と問われると、次第に返答すらめんどうになるのではないでしょうか。PCでキー入力するのも時間がかかるというかたもおられるでしょう。相手は上司ですから、文面にも気を使います。
「新しい生活様式や仕事形態」を模索するうえで私がとても大切だと思えるのは、まずはそれぞれが共通項を確認するということだと思います。
★ほぼ初めての試みであること。初めから完璧を求めない。
★エラーは起きて当然。解決策を組織として探していけばよい。
★テレワークは職場に出勤することとは別物としてとらえる。
●私が思う「テレワークが今後の働き方として主流となるために必要なこと」。
もしその組織なり企業なりが「一時的なものではなく将来にも続く働き方を模索するために」テレワークを導入する、ということであれば、テレワークの良さをしっかりと共有する必要があると思います。そうでなければ新しい働き方としてのテレワークは根付きません。
1) 根付かない。
2) 対処療法となってしまう。
3) 日本の「全体主義」が悪い方向に出やすくなる(「あなたのものはわたし(たち)のもの。あなたの時間はわたし(たち)のもの」)
テレワークの良さは、自分がプライベートな事情を抱えつつ仕事ができるということだと思います。
単純に場所がオフィスから自宅になることがテレワークではありません。
抽象的ですが、組織のそれぞれのかたの「想像力」が試されているといっても過言ではない、と私は思っています。
まわりに対する想像力です。
職場に全員がほぼ同じ時刻に出社していたときは、まるで時給制のパートやアルバイトのように、出社時刻から退勤時刻までの時間はすべて、「会社や組織の仕事のために使う」ことが求められました。
ここがテレワークと出勤ワークとの大きな違いだと思います。
時給制でないのであれば、上司は部下に対して自分が考える時間に仕事をするよう強制できません。全員参加のオンライン会議やチャットでもない限り。
◆即レスがこないのは、子どもが癇癪おこしているからかもしれない。乳児のおむつを交換する時間なのかもしれない。介護している親の様子を見る時間なのかもしれない。
◆上司のメールがそっけなかったりオンライン会議で顔がこわばったりしているのは、オンラインでのやりとりそのものに慣れていないせいかもしれない。
◆オンライン会議でいま返事がなかったのは、相手のWi-fiがフリーズしているからかもしれない。
◆オンラインメッセンジャーでいつも「ワンテンポ」あるのは、相手がブラインドタッチになれていないからかもしれない。
◆このパワポをいま、この時間に送付したら、これを今日中に仕上げなければならない、と受け取られるかもしれない。相手は几帳面な性格だから(だから、いついつまででOKと記したり、翌日の早朝に送るようにしたりする)。
また明日以降も書いてまいります。
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“20年来の在宅ワーカーがテレワークを考える。「組織のテレワーク(1)」” への3件の返信
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