「生かされていることへの感謝」を日々、抱く。年をとるごとに。ー小山ケイの人生ドリル153 Always be grateful to be alive.

今日の記事では、母校の青学から単位をもって米国オレゴン大学へ編入学して卒業し、15年以上に渡って「サステナビリティ・ESG・気候変動」などに特化した専門翻訳会社を経営しながら再び青学(大学院)へ戻ってMBA(修士号)を取得した私・小山ケイが、「人生ドリルシリーズ」として書いていきます。

<もくじ>
●「生かされていることへの感謝」を日々、抱く。年をとるごとに。ー小山ケイの人生ドリル153 Always be grateful to be alive.
●日々、生かされていることへの感謝をなぜもつことが人生ドリルなのか?How come it is  great as a “Life Exam” to be grateful to be alive?

このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事は「徒然なるままにひぐらし。」のカテゴリーで書きました。同じカテゴリーの過去記事は下からご覧になれます。

●「生かされていることへの感謝」を日々、抱く。年をとるごとに。ー小山ケイの人生ドリルシリーズ153 Always be grateful to be alive! -Kay Koyama’s “Life Exam Vol. 153”

ブログで書きたいことはいつもいくつかあります。

今日はとくにいくつかあってどれにしようかととても迷いました。

でも、時間があるときこそ、そしていまだからこそ今日は、このことについて書いてみようと思いたちました。

「生かされていることへの感謝」を日々、抱く。年を取るごとに。

つきなみないいかたで、お寺の入り口にもよく張っている言葉かもしれません。

「生かされていることへの感謝」。

このブログで何度か書いているように、私はテレビを有していないこともあって、芸能ニュースはほとんど知らない人間です。けれど、コンピュータを起動させたとたん、入ってきたニュースがあって「え」と驚き読んでみました。

刑事事件に発展したようなので、どなたのことかはあえて書きません。

警察のかたがとったというそのかたの供述をニュースサイトで読んでいて、私はとても違和感覚えたのです。

なんなんだろ、この違和感。

敬虔な仏教徒とのことなのですが、読めば読むほど、仏教徒とは思えないほど自己中心的な発想に私は感じられるのです。

「来世があるからいま(自ら)死んでもどうせ生まれ変われるよね」

ニュースサイトですし供述書ですから、こんなラフな言い方ではありませんが、そのかたが言ったとされていることは要するにそういうことなのです。

あるいは、いままですごくいい経験がたくさんできたから、もう思い残すことはない、とのこと。

「すごくいい経験ができたのはまわりやご先祖、天の存在のみなみなさまがたのおかげ。だからこれからの人生後半戦は、自分が人様のおかげでいい思いをしてきたことを、より多くの人たちにもしていただけるよう、人様の力になることにすべてをかけよう。愛と感謝を持って」

とはならない。

つまりそこには、「生かされていることへの感謝」が欠落している。人生後半戦に突入している中年俳優さんです。

小説でも書いてるひとなら「それもアリだよね」でテーマにしてしまうかもしれない。

でも私を含めて多くの人は、現実世界で一般人として生きています。

そして今の時代、コロナ禍を3年経験し、ウクライナをはじめとする各地で戦火のもとで大変な思いをされているかたがおられる世界のなかで、小説の世界をはるかに凌駕する混沌と混乱、理不尽さが日々あたりまえのように存在するのが現実世界です。

私の感じた違和感は具体的にはこんなぐあいです。

★「ラスベガスのカジノでも大儲けできた。自分はツイてた(だからもう思う残すことはない、とのこと)」→ 私・小山ケイの違和感は、「カジノがあるアメリカ社会のおかげ。健康な体があって飛行機に乗れた感謝、日本と米国が安定的な関係性を築いていることから受けられた恩恵、外国人にも大金で遊ばせてもらえるアメリカ社会の懐の深さ、自分が大金を掛けられるだけの所持金があることへの感謝」、がないということ。寝たきりのかたや難病で苦しむかた、敵対関係にある国にすむ人、入国が禁止されている国にすむ人、お金を持っていない人は、「アメリカのラスベガスのカジノで大儲けする」という経験はできません。

「オレ様」を感じてしょうがない。くだんの俳優さんには。敬虔な仏教徒というより。

Some famous Japanese actor tried to  commit suicide several days ago “supporting” his parents, one had terminal cancer, to kill themselves at the same time. In the article based on the police affidavit, he said that they were devout Buddhists and believe the “Next life, ” i.e., reincarnation; therefore, he did not feel fear to die at all and decided kill themselves before a magazine article about him (related to his sexuality, sex scandals, or even “crimes” such as raping caused by him, based on the article) would go into public.

●日々、生かされていることへの感謝をなぜもつことが人生ドリルなのか?How come it is great as a “Life Exam” to be grateful to be alive?

上記のように、日々、生かされていることへの感謝をもつことで、その意味や人生について考えたり、人様と自分のかかわりについて考えるようになります。

そして、人生後半戦に突入しているのであれば、いよいよスタート地点についたことがわかる。

「ああ、いままでの経験は、このスタート地点につくためだったのか」と。私の実体験です。

なぜなら、自分にこだわる必要がなくなるから。

人生前半戦は多くの人にとって、「自分にこだわる」こととの闘いだから。

でもくだんのオレ様にはそれはない。

あの供述内容が本当であれば、そのかたが信仰しているという古い仏教宗派からは反論がよせられるんじゃないか、とすら私には思えます。「輪廻転生があるからいまの人生はおざなりにしていいよ、自分で最期をきめちゃってもいいよ」、とその宗派がすすめてるようにも聞こえるから。

出家する人生を推測するマスコミ関係者の話もニュースサイトには掲載されていました。

彼の人生後半戦、もしかしたらよりその宗教の意味や哲学を理解し、社会のなかでそれらを体現する道(Life journey)を進むのかもしれません。社会から大いに必要とされ尊敬される宗教家として。そのための今回の「事件」が試練として天から与えられたように私には思えてきます。

身内を死においやり自らも死を選んだ「なぜ」は、ご本人にしかわからないのかもしれない。

私はその「なぜ」よりも、「生かされていることへの感謝」をますます私自身の人生ドリルとするということを事件から学びました。身内に自殺者と、自殺未遂を2度おこなったものがいる私だからかもしれません。

(ニュースサイトにもあるように、精神科などで処方される薬を少し多めに飲んだけでは死には至りません。「ほう助」となっているのでおそらく、なんらかの手を加えたのだと私も思いました)

小山ケイ

If you feel truly grateful, you are to think about the meaning of life, philosophy of life, and relationship with others in this earthly world.  

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