今日の記事では、先日「自分と対話する」という記事の中にある「無心になる(ならざるをえない)時間を意図的につくる」ということについて書いています。
<もくじ>
●無心になるときに超える「あるポイント」を経験しておく。
●無心になるための「あるポイント」の経験のしかた。
このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事は「徒然なるままにひぐらし。」のカテゴリーで人生ドリルシリーズとして書きました。同じカテゴリーで書いた前回の記事は下からご覧になれます。
●無心になるときに超える『ある点』を経験しておく。
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先日私はこのブログで、「自分と対話する」と題してブログを書きました。
そのときに、「無心になる(ならざるをえない)状態を日々、意識的につくりだすこと」が自分との対話につながっていくと表しました。
そのことについて今日はすこし詳しく書いていきます。
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私は米国のオレゴン大学に留学していたころ、オレゴン州で一番大きな都市であるポートランドは何度も訪れました。
そのさらに先にあるワシントン州のシアトルにも数回、行っています。
ポートランドもシアトルも飛行機で行ったこともありますが、車で行ったのがほとんどです。
オレゴン大学のあるユージン市からポートランドは片道約2時間弱。シアトルへは5時間弱。日本の速度に換算すると法定速度はだいたい、80キロから100キロぐらいになります。
それを往復する。
友人たちや家族と行ったこともありますが、自分独りだけで運転して行ったこともあります。そのときは、「無心になるにはある点を超えなければならない」ということを私は体験しました。
米国の長距離トラックドライバーたちもおそらく経験しています。
日本でも長距離ドライバーのかたたちもそうかもしれない。
とくに米国での長距離の高速道路の運転はそうです。
広大な土地を結んだ高速道路。
何時間も見続けているのは、ひたすら遠くまで伸びる道路と殺風景なほど繰り返される山々と平原。
ときおり街中を通過するときは住宅がちらほらと現れますが、通過速度が速いのでそれも一瞬で終わってしまうように思えます。
だいいち、自分が運転していたら、きょろきょろと景色を楽しむ、なんてことは危なっかしくてできません。
ひたすら前方を見据え続ける。
砂漠地帯であればおそらく、砂漠の風景が何時間も広がるはずです。
そして、ある点を超えない限り、米国のあのかわり映えのしない単調な景色のなかで長時間、まっすぐな高速の道を運転するのは精神的にかなりまいります。
それ以上、まともに運転することができなくなる。
この「まいる」という感覚は、実際に運転する人でないとなかなか理解できないかもしれません。
日本の教習所の講習でも「高速道路は単調になりやすい」と言われています。高速道路は高速に入ってその速度に慣れるまでは緊張がともないますが、道路の波に載ってから10分ほどもすると次第にその速度が感じられなくなります。
まるで一般道を走っているかのような感覚。
あるいは、自分が静止すらしているかのような感覚。
米国の高速道路ではそれがずっと続く。
何時間も。
ずっと、ずっと。
私が経験したのは、ポートランド市をこえて1時間ぐらいしてからです。同じような単調な山々の景色が四方八方に広がるなかで、自分がずっと静止しているような気がしてきました。
なにもしていない自分。
それが次第に苦痛を帯びてくるのです。
そしてなにかをしたい衝動に駆られる。
変化がほしい。
むちゃくちゃに車線変更したり、さらにスピードアップしたり。
もちろん、そんなことは危険を伴います。できません。できるわけがありません。だから「精神がまいる」のです。つまり、ギブアップ。私はそこで高速を降りました。そんな危険なことをするまえに。危険なことになるまえに。
広大な土地のせいでしょうか、米国のInterstateには日本のコンビニさながらのサービスエリア(SA)なんてありませんから、用を足したり買い物したりするのであれば街中でいったん高速を降りる必要があります。
それをしないのであれば、ひたすら走り続ける。
米国の長距離トラックの運転手はそのせいか、まるで宗教者のような雰囲気すら漂わせていることがあります。
車輪がいくつもついた、何両も連結させたログ専用の輸送車や、港に着いた貨物コンテナをいくつも連結させているのもある。
高速道路で彼らの車両が「Enter」口から入ってくるときは、こちらは追い越し車線側に車線変更をして彼らに道をあけてあげなければならない。車両が入ってこられないから。自家用車何両分ものガタイの大きな車両だから。
だから無事に「Enter」できたら彼らは「Thanks!」と1,2発、クラクションを鳴らしてくれる。こちらがもとの車線に戻るのを見計らうようにして。
「わざわざ車線変更してくれてありがとう!」
静かにたたずみながら、「いざ」というときは容赦せずに強さを発揮させるのではないか。そんなことを想像させる風格です。
かれらも大昔、長距離ドライバーの職に就いたころは私が感じたような「あるポイント」をなんども経験しているはずなのです。
そしてそこをあるときに突き抜けた。
自分と対話しながら。
無心の世界へと向かって。
●無心になるための「あるポイント」の経験のしかた。
私の場合は、「どうしたらあの『精神がまいる」という状態を超えられるのだろう」というところから始まりました。
そうして、自分の精神状態を分析してみたり、どの地点でどのようなことを考えているのか、どういう感情が生まれているのか、どういうことがしたくなるのか、あらゆることを頭の中で思いめぐらせてみました。
1) 「変化」がほしくなるほど単調であることが耐えられない。
2) どこが到達地点か分からない(先が見えない。初めていく場所はとくに)
3) それがいつまで続くのか分からないことからくる苛立ち。
4) であればまずは、単調にならない工夫をする。
5) 適度で穏やかな車線変更を何度か行う。まわりに走行車がいないとき。
6) 好きな音楽を車内で掛ける。ラジオも。
7) 交通量が少なく安全性が保たれているときは、歌う。
(私はドラマーなので、ハンドルをドラムがわりにして指で叩いてました)
8) 事前に地図を頭の中に細かくインプットしておく。
9) ここというチェックポイントを8)で作っておく。
10) 実際に運転しながら、タイミングがあえばチェックポイントを標識で確認する。
11) 10)から最終目的地までの残り時間を想像する。
12) 往復同じ道を通るのであれば、復路も同じことをする。
13) 可能であれば、再度、同じことを後日にする。
応用編(日常生活において)】
i) 「到達地点(目標)」を確認。
ii) いま自分がしていることの意味・意義。
iii) 自分の「いま」の感情をつねに把握。
iv) いらいらや憂鬱などの「フラットではない状態」はとくに「なぜ」を考える。
v) どれぐらいそれを続ければ「目的地に到達するか」想像してみる。
vi) 気分転換もときにはする。
vii) 失敗しても、同じことを何度かしてみる。i)からvi)を繰り返しながら。
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