小山ケイの人生ドリル32-ものごとの完成形への距離は無限である。Almost everything needs sincere heart and devotion of the persons providing it.

今日の記事では、「ものごとには終わりがない」「完成形と考える姿と自身との間の距離は無限である」ということについて書いています。

<もくじ>
●完成形と自分との距離は無限に広がっている。
●たいていのことには「終わり」がない。
●ものごとに終わりがないということに気づく利点。

このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事は、カテゴリー「徒然なるままにひぐらし。」で書きました。前回は下の記事を人生ドリルシリーズとして書きました。

●完成形と自分との距離は無限に広がっている。

浜松町の空。

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ものごとにはおわりがない。よく言われることです。ものごと、とはおもにつぎのようなことではないでしょうか。

★芸事

★スポーツ

★勉強

★家事

★仕事

★健康

★美

健康ついては、「これで健康」という姿を私たちはそれぞれ思い描いているかもしれない。けれど、たとえば健康診断や人間ドックで調べてもらうと、どこかかにか「経過観察」となったり数値がおかしかったり、あるいは普段でも何となく今日はだるいとかのどが痛い、とか日々あるわけです。未病なんて言葉もあります。

美も同じです。はたから見ると完璧な美人だと思うのですが、ご本人は「ここが気に入らない」とか「体形がいやだ」とかあったりします。

仕事もそうです。「ここで終わり」と切り上げようと思えば可能ですが、自分が好きで選んだ転職と思える仕事や専門職などであれば、自分で「ここまで」と言わない限り、完成する形に到達する道は無限です。私の本職である翻訳の仕事もそうです。

私もこれまでの長い人生において、完成形と自分が思えるものと自分との無限に広がる距離をつくづく感じてきました。上記の芸事は私にとっては小さいときから身近なものです。学校に通っていたときは義務教育から始まる学校生活を楽器の部活動で貫きました。

ピアノも習っていたうえに、母親は日舞の名取だったこともあり、私は小さいときから「芸事には終わりがない」ということをひしひしと感じていました。

そして大人になるにつれて、「なにごとにおいても完成形と自分が思えるものと自分との距離は無限に広がっている」ということを悟ったのです。

こんなエピソードがあります。青学でオーケストラ部の部員だったとき、別のパートの後輩が次の演奏会に向けた練習中に自分の演奏について「私は完璧」と言ってのけたことがあります。すごい自信だわ、と私は思ったのですが、私のパートのOBがある日遊びに来てTutti(合同演奏です)を聴いた後、開口一番にこう言いました。

「●●●(楽器)パートは鳴ってないね」

●●●とは「私は完璧」と言い放った後輩の楽器です。楽器が鳴ってない、とは楽譜をしっかり読み込んでいないことももちろんそうですが、それ以前に日々ちゃんと基礎練習をしていないということすら表した表現です。

Suntory Hall

私自身も未熟ながら、「楽器の演奏に『完璧』ってことはあるのかな。そこで終わってしまってもいいのかな」と後輩の言葉に感じていました。それゆえ、私のパートのなかでも実力者として知られたOBの指摘によって私の予感が的中したと思いました。驚きましたね。開口一番の指摘だったので。

「私は完璧」で思考停止してしまうと、成長は文字通り、そこで止まります。努力することをそこでやめてしまいます。さらなる深みを追求したり、自分を疑ったり、危機感を感じたりすることすらなくなる。

なにより、芸事に対する謙虚さが失われます。

サントリーホールのオルガン

スポーツも同じだと思います。「自分は完璧」と言い放って納得してしまうと、思わぬ怪我に見舞われたり、ブレーキを起こしたり。ダンスもしかり。芸人さんのお笑いもしかり。演技もしかり。

そう思いませんか?

●たいていのことには「終わりがない」。終わりがあるのは、人との関係性ぐらい。

以前このブログで書いたことがありますが、人との関係性は家族であっても有限です。相手が亡くなったり離婚したり姿を消したりつきあいをやめたりすれば、疎遠になったり一生合わなかったりします。

けれど、「極める」ということには終わりはありません。多くのかたが気づいておられることと思います。本人が「完成形に限りなく近づく」と決めれば決めるほど、完成形には近づくことはありません。自分が「これで終わり」と決めないかぎり。それが「極める」という世界なのだと思います。

私の敬愛する葛飾北斎翁ですら、大家になってからもたくさん練習しています。西洋画の構図や絵の具の研究、オランダをはじめとする海外アーティスト(笑)の絵もよく研究している。そして年下の安藤広重が名をはせるようになると、その絵からも学ぼうとした痕跡が史料として残されています。

後世の私からみると、「神奈川沖浪裏」なんてどうやったらあんな大胆な構図で力強く描くことができるんだろう、とただただ感嘆します。一説には印象派のフランス人作曲家ドビュッシーがこの絵から大きな影響を受けて「海」という交響曲を作ったと言われています。

そんな大家でも、生涯努力を重ねた。北斎翁の中に思い描く「完成形」を追い求めたのだと思います。だからこそ、後世の人間にも延々とパワーを感じさせているのです。

★★★★★Quoting from the official YouTube video of France Musique conducted by Myung-Whun Chung★★★★★

●ものごとには終わりがない、ということに気づくことの利点。

いっけん「もうこれで終わり」という状態であるように思えても、よく見るとすることがある、ということはよくわりますよね。多くの方が学生時代の試験解答のさいにそれを経験しているはずです。

少し時間があまったから見返してみると、てにをはがおかしかったり数字を書き間違えていたり抜けが合ったり。だから先生がたも「終わってもよく見返すこと」とおっしゃるのだと思います。

ものごとには終わりがない、ということに気づくことで、細かいところに神経を向けるようになります。まさに「神は細部に宿る」です。

★自分を疑える。

★努力をする。

★手ぬきしない。

★必死になれる。

★危機感が感じられる。

★細部を怠らない。

★あらゆることには完璧がないという解が導かれる。

★油断しなくなる(コロナウイルス対策もそうです)。

★自分という存在の小ささに気づける。

★「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」

★質が高まる。

★よって本人以外の、たとえば観客やまわりの人に感動が与えられる。

サントリーホール天井

プロであればあるほど、表現したり世の中に提供したりするものやコトは完璧に限りなく近い形でなければならない。高い質でなければならない。だからこそ、本人は完成形と自分との距離が無限に広がっている、と感じる必要があるのだと私は思います。

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★★★★★青学駅伝OB神野大地がNHKでもおなじみのトレーナー、中野ジェームズさん(「青トレ」生みの親)と運動不足を解消するExcessiveを考案してくれました。在宅勤務、remote workの合間に、あるいはお子さんと、どうぞ!Quoting from the official YouTube video of Daichi Kamino with James Nakano★★★★★

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こちらはちょうど1年前に書いた記事です。

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