小山ケイの人生ドリル88-期待しない。Do not expect of others.

今日の記事では、「期待しない」ということについて書いています。

<もくじ>
●期待しない。人生ドリルとして。人生をよりよく生き抜く鉄則として。
●期待するとき、自分の延長線上に相手を置いていることが多い。
●相手に期待しない利点。そして期待するならその行為自体をやめる。

  

このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事は「徒然なるままにひぐらし。」のカテゴリーで人生ドリルシリーズとして書きました。同じカテゴリーで書いた前回の記事は下からご覧になれます。

●期待しない。人生ドリルとして。人生をよりよく生き抜く鉄則として。

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「期待しない」先はさまざまです。

★他人

★親

★子ども

★友だち

★国・行政

「期待しない」ことを人生の鉄則として身につけると、自分で何とかすることが自分の人生の基本となります。

なにかあって、「期待した自分が悪かった」と思えます。

期待するから相手を恨んだり非難したりもやもやとした思いを抱えることも多くなる。

けれど、「自分で解決する。自分でする」を基本とすると、まずは自分で行動します。そのなかで試行錯誤するので経験値も増えるし解決策も自分オリジナルなものができたりします。

「期待しない」ことのなにがいいかというと、予防策をはっておけることです。

◆「自分でまずはやる」と心の準備をしておける

◆相手がそれをしてくれるとは思っていないのでそれが当然だという心構えが事前に得られる、

◆相手がそっけない反応でも、「相手に期待しない」ことが基本だからあとを引かない

もし相手なり国なりの反応が好意的であったり思わぬ大きな良いことをもたらしてくれるときは、まさに「期待以上」ということ。

それは、そのひとたちがすぐれているということ。

そして期待以上のことをいつももたらしてくれる人やコミュニティ、団体等とつきあっていけばいいのです。

大いに感謝しながら。

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●期待するとき、自分の延長線上に相手を置いていることが多い。

相手が自分の期待したとおりのことをしてくれないのは、相手は自分ではないからです。

一般常識」と呼ばれるものがありますが、それすらも人によってずれていることがある。

以前私はこのブログで、「学者や高齢の会社経営者、大手企業の幹部など、社会的なステータスのある人はケチらずに大盤振る舞いぐらいしてくれる、と私は思いがちです」と書きました。笑 これも私の相手に対する期待ですが、相手からすると、「場の中で自分が一番年上であろうとも、一番社会的なステータスがあろうとも、そんなことをする必要はない」ということがその人にとっての常識であればその人は「いいよ、今日のところは僕のおごり」とは言いません。

  小山ケイ過去記事】『若い子へ』自分の器を広げてくれる年上友だちの見わけかた。

 

この程度はまだかわいいものだと思います。よく聞くことで、「こちらはこういう贈答品を贈ったのにお返しがない」というのがあります。私は人から贈り物を頂いたりごちそう頂いたりしたら何度もお礼を言うことは良いことだと思っていますが、そうではない人もいる。

こちらの好意に対して相手からの反応がそっけなかったりすると「あれ」と肩透かしを食らう。

◇お金を貸したら返してくれる。

◇知ってる人にあったら「こんにちは」と挨拶する。

◇お礼を言う。

◇自分が相手のために骨を折ったら相手も骨を折ってくれる。

 

  小山ケイ過去記事】「好意」について考えてみる。

 

自分がするから相手も同じようにそうしてくれる。

それが「一般常識」だから。

「ふつうは」そうだから。

そこにお互いのずれがあるとも気づかずに。

 

私も経験があります。とくに若いころ。私が「相手はこれこれをしてくれない」ともんもんとする。けれど、相手からは私はへんな期待をされていない、という利点があることはすっかり忘れているのです。

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●相手に期待しない利点。そして期待するならその行為自体をやめる。

いろいろな「期待」がありますよね。

お金を貸したら返してくれる。大金はもちろんのこと、自販機の前で「ごめん。小銭忘れたから貸してもらえる?」と言って貸した110円分。

何日たっても、何週間たっても、返してくれない。

そしてこちらは、もんもんする。笑

「110円でも貸したもんは貸したもの。なんで返してくれなんだろう?(怒)」

うんと若かりし頃の私はそうでした。

相手に催促することもありました。でも、額が小さければ小さいほど、なかなか言いづらくなるのです。「小さいこと言ってるみたい・・・」と。

そしてさらに、気持ちがもやもやしてくる。

それを何度も何度も繰り返してきた結果、あるときから「額が小さいときはジュースであればジュースを相手に『おごってあげた』と最初から思うことにしよう。そういう気持ちにならないのであれば、貸さない。『ごめん、あたしも持ってないの』と嘘でも言って」

同じような経験をしてきた人がまわりにあつまるものなのでしょうか、大人になって私のまわりでも、たとえば会食で割り勘にしたときに端数分の小銭がなかったりして、「ごめん、端数分は次回持ってくる!」というと、「いいよいいよ、そんなの」とさらりと言ってくれる人が多い。

そして次回、「こないだの分」と催促してきたりはしない。言葉のとおり。

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お金のような物質的なものだけではありません。

自分がした好意に対して相手の態度がそっけなかったりすると「む」とすることが昔は私もよくありました。

でも、大人になるにつれて気づいたのは、そっけない態度の人はあんがい、自分のすることに対しても人から「これでもか!」というほどのリアクションや感謝を求めていないことがあるということ。

自分のことは棚に上げてって人ももちろんいるけれど。笑

ああいう「人に期待していない人」って一緒にいて居心地いいですね。気を使わなくていいから。人としての最低限の礼儀や友人としての気遣い以外は。

だから自分も人に期待しない。

自分の精神衛生上、そして相手の精神衛生上。

相手は自分ではないのだから、自分が思うとおりの行動をしてくれるわけではない。

【利点】

その1) 自分の精神衛生が保たれる。

その2) 相手の精神衛生が保たれる。

その3) 一緒にいて居心地よくなる。

その4) 自ら行動しようとする(だれそれがやってくれない、ではなく)。

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