“Mother”
今日の記事では、母校の青学から単位をもって米国オレゴン大学へ編入学して卒業し、15年以上に渡って「サステナビリティ・ESG・気候変動」などに特化した専門翻訳会社を経営しながら再び青学(大学院)へ戻ってMBA(修士号)を取得した私・小山ケイが、米国オレゴン大学に留学していたときの夏の思い出について書いていきます。
<もくじ>
●私を導いてくれた”Mother” パート2 – オレゴンの山中にて。<Oregonの思い出>
●店内で。
このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記記事は「留学の思い出 & Oregon」のカテゴリーで書きました。同じカテゴリーの過去記事は下からご覧になれます。
●私を導いてくれた”Mother” パート2 – Oregonian mother part2
(昨日の記事から続いています)
子どものころから私はよく迷子になりました。
3歳ぐらいのころには、パトカーで家まで送られたこともあります。
家の近くの公園で遊んでいたとき、友だちのお母さんにくっついて行きたくて、その方が公園から去って少ししてから「後を追いかけよう」と、すでに姿が見えなくなっているにもかかわらず飛び出したからです。
まったく見知らぬ町までたどり着いてしまい、見知らぬ「お母さん」に「わぁ~ん」、と泣きつきました。
「小さな女の子が迷子になっています。縞々のシャツと紺色のズボンをはいています。お心当たりのご家庭はありませんか~?」とパトカーのスピーカーから警察のかたに近所をぐるぐる車で回ってもらったあの日。
あの日の「私」と、オレゴンの山中で迷子になった「私」は、年齢は違えど、根っこの部分はなんら変わってなかった。
無鉄砲。
直感をたよりに猪突猛進に行動。
あれやこれやと考えるまでにとにかく動く。
オレゴンの山中で、帰り道を親切に教えてくれた「お母さん (Mother)」の説明を頭に入れながら車を走らせた私は、遠い記憶のなかで迷子になっている小さな自分を思い出していたような気がします。
「大丈夫よ、と言ってくれた。だから、大丈夫のはず」
私は、車線変更のない細い道と、同じような夜の風景がずっと続いている山中で、ひたすらお母さんの説明を繰り返しました。
いつからか、一台のピックアップトラック (Pickup truck) がずっと、私の車の後ろを走っています。
ほどよい車両感覚で、ぴったりと。
気づいたのは、運転を再開してから5分くらいたったころ。
バックミラーに映るピックアップトラックはきれいな水色をしています。
アメリカでよくみる、大きな車両です。
しらばくして、そのトラックが私の車をゆっくり、追い越していきます。
あれ、と思っていると今度は、私の車の前にまたゆっくりと入りました。
ぽつぽつ、とほかにも車両が現れだしたころです。
いままで真っ暗だった山中の風景。
町として機能している場所へ人が移動している。
そうなんとなく感じると、安心感が少し芽生えてきました。
そして、目の前のピックアップトラック。
「このピックアップトラックも海岸沿いの町に向かってるのだろうか。まさか・・・」
疑いながらも、私はそのピックアップトラックが私の目の前からいっこうに離れて行かないことや、ほどよい車両感覚を保とうとしていること、走行速度が穏やかであること、などからこう確信しはじめました。
「私を導いてくれている。海岸の町まで」
あんなに上り坂の山中を走っていたと思っていたのに、道はいつのまにか、なだらかな下り坂になっています。
大きな山の輪郭をなぞるように。
私はピックアップトラックを運転する人の意図と好意をかみしめながら、ひたすら、後ろをついていきました。
しだいに海の片りんが見え始めます。
*********
お母さんが教えてくれたように、30分もかからずに海岸の町にたどり着きました。
目の前のピックアップトラックがガソリンスタンドへ入ります。
私もあとをついていきます。
店主とおぼしき白人のおじいさんと、ピックアップトラックの運転手が窓越しにやりとし始めました。
私の番が回ってきます。
私の車に近づいてきたおじいさんは笑顔でこう尋ねました。
「山中で道に迷ったんだって?」
「えっ・・・」
「あのピックアップトラックの女性がそう教えてくれたよ。Eugeneまでの帰り方も教えてやってほしいって言ってた。いま店のなかで教えてあげるね。ガソリン入れてる間に」
注文をおじいさんに告げた私は、いてもたってもいられず、車を降りました。
そして、1,2台まえに泊まっている水色の大きなピックアップトラックの運転席に近づきます。
乗っていたのはやはり、あのお母さんでした。
「本当にありがとうございます (Thank you very much)」
大きなご好意に若い私はどう言葉を出したらいいのかわかりません。
感謝を簡単な言葉でしか表せない私にお母さんは、ほどよい車両感覚を保っていてくれていたときのように、ほどよい距離感で返答してくれました。
「いいのよ。ちょうど買う物があったから」
静かなたたずまいのお母さんは、私の説明をきいてくれていたときのように静かにほほえんでいます。
私は再度、お礼をのべて、ピックアップトラックから離れました。
言葉が命綱のアメリカで、言葉で表されなかったたくさんのものを感じながら。
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●店内で。
「店の中で帰り道をおしえてあげるよ」と笑顔で言ってくれた白人店主。
気さくな雰囲気のおじいさんです。
私はトイレを借りて用を足し、食べ物などを購入しようとレジに向かいます。
気さくな雰囲気のおじいさん店主は、私が車から降りる前にこう尋ねています。
「どこからきたの? (where did you come from?)」。
おじいさんらしい、ゆっくりとした、1,2本、歯が抜けている(あるいはかけている)かのような話し方で。「Eugeneへの帰り道を教えてあげるね」という前に。
そして私は“Eugene”と答えています。
自分が朝に出発した場所です。
私の返答を聴いていっしゅん、「あれ?」という顔をしたおじいさん。
そのときは「なにかへんな答え方しちゃったのかな」と私は思いました。
レジに行っておじいさんが本当に聞きたかったことが分かりました。
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レジ横の事務所から私の応対に出てきてくれたのは、日系人とおぼしき東洋人のおばあさんでした。
もう30年近くも前のことなので記憶が間違っているかもしれませんが、そのかたは日本語ではなく英語で私に話しかけてくださいました。
「道に迷っちゃったの?」
なまりのない、Nativeの英語です。
おばあさんの横には店主のおじいさんも立っています。
奥さんが東洋人(アジア系)のおじいさんは、おなじくアジア系の私に「もしかして、うちの奥さんと民族がおなじなのかも」と思ったのでしょう。だから、好奇心から「どこから来たの?」と聞いてくれた。親近感も感じながら。
レジカウンターにOregonの大きな地図を広げながら、二人は私にEugeneへの帰り方をおしえてくれはじめました。
それを聴きながら私は、自分が住む場所があるEugeneへちゃんと帰れるうれしさで一杯になりました。
自分がたくさんのひとに助けてもらいながら生きているということをかみしめながら。
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