今日の記事では、新卒で銀行員となり、その後15年以上に渡って「気候変動・地球温暖化対策・環境CSR、サステナビリティ」に特化した専門翻訳会社を経営している私・小山ケイが「小山ケイの人生ドリル」シリーズとして、「泣く。涙を流して、声をあげて」ということことについて書いています。
<もくじ>
●【人生ドリル】泣く。Cry..
●心の目盛りを正常値に戻すために。「泣く方法」
このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事は「徒然なるままにひぐらし。」のカテゴリーで人生ドリルシリーズとして書きました。同じカテゴリーで書いた前回の記事は下からご覧になれます。
●小山ケイの人生ドリル105「泣く」
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涙を流して泣くことがその人の精神を保つうえで良いことだ、とはよく専門家のかたがおっしゃることですよね。
私もこれまでの長い人生において、「涙を流して泣くこと」が自分にとって救いとなることは多々、実感してきました。
失恋(別れ)したといっては泣き(笑)、悔しい思いをしたと言っては泣き、自分がぞんざいに扱われたといっては涙を流し。
1) 失恋(別れ)
2) 悔し泣き
3) 脱力感・虚無感(自分がぞんざいに扱われたことに対する感情)
わけもわからず、涙が流れてくることもあります。
私が泣き出すと、ティッシュペーパーでは足りない。
トイレットペーパーを使って涙を拭く。笑 何ロールあっても足りないくらい。
それくらい、私は大泣きするのです。
おそらく人一倍、「感情」というものにものすごく敏感だからだと思います。
自分の感情や人の感情。
涙を流すことは心の浄化作用だとつくづく思いますね。
専門家のようにアカデミックな理由では私は説明できませんが、涙を流すことでカタルシスを感じているのが自分でも手に取るようにわかります。
まるでデトックス効果を感じているかのよう。
「涙を流して、おんおんと声を出して泣く」ことはわりと、体力やエネルギーが必要です。
けれど、その一方で、そうして自分の力を振り絞りながらおんおんと大泣きしているせいか、「ああ、自分は悲しんでいるんだな。悔しい思いをしてるんだな」とどこか、客観的に、冷静に、自分のことを見つめている自分が出現してくるのもわかる。
そう、出現。
泣けば泣くほど。
そして、その第三者のような自分に意識が次第に移っていくのもわかる。
それがおそらく、涙を流して大泣きすることの最大の効果・利点なんじゃないかな、と思いますね。
これはもしかしたら、けんかをすることや、「ばかやろー」と本人にときには言ってみることが精神衛生上、良いことと根っこは同じかもしれません。
実は、ここ数日も泣いています(大笑)。
ある人間・組織に、ぞんざいに扱われたように感じて、悔しくて悔しくてしょうがないからです。
トイレットペーパーが手元から手放せない日々を送っております。
以前私がこのブログで書いた、「心を静める方法」と合わせて、私は年を重ねるごとに、いやなことやなんだかとてももやもやするときは、意図的に涙を流して泣くようにしています。
泣けるうちはまだいい。
「死」を考えるほど思いつめた人は泣けません。
涙を流しません。
私も身内でそれを経験しました。
だから、泣く。
涙を流して。
無理やりにでも涙を流して。
自分の心を正常に保つために。
涙を流して泣くことは、恥ずべきことでも罪なことでもまったくないですよ。
●心の目盛りを正常値に戻すために。「泣く方法」
1) 人やペットとの別れのように「理由が分かる」こと以外でも、なぜかわからないけどとにかく心がもやもやするときに、泣く。
人まえではなかなか泣けないから、あえて自分ひとりで静かになれる時間を設ける。
2) 泣くことは自分の心を正常に保つためであることを良くかみしめる。
3) 「ここで泣いたら負けかな」とか「なんでわざわざ涙を流す必要があるんだろう」と思うこともあります。
そういうときこそ、上記の私の過去記事にある「もやもやしたことを書きだす方法」を一緒に行います。
4) 3)の書き出す過程で心が鎮まることもありますが、キーは「感情」だと思います。
★自分の感情が大いに揺れるほど心かき乱されているのか。
★マグマのような煮えたぎる感情が自分のなかにあふれているのか。
★エネルギーを使って涙を流すと、すっきりしそうかどうか。
そういうときは、「涙を流す」と決める。
吐き気を催すときにあえてがまんせずに吐くような感じです。私の実感です。
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