「国境なき医師団(Médecins Sans Frontières/MSF)」のかたたちに声をかけてみた。駅前で。日本文化を考えるきっかけとして。いち寄付者として。(小山ケイ)

国境なき医師団

母校の青学から単位をもって米国オレゴン大学へ編入学して卒業し、15年以上に渡って「サステナビリティ・ESG・気候変動」などに特化した専門翻訳会社を経営しながら再び青学(大学院)へ戻ってMBA(修士号)を取得した私・小山ケイが、さいきん体験したことをエッセイにして書いていきます。

<もくじ>
●「国境なき医師団」のかたたちに声をかけてみた。駅前で。日本文化を考えるきっかけとして。いち寄付者として。(小山ケイ)
●そして、声をかけてみた。広報活動担当のかたの反応。

このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記記事は「英語(潜在意識をみかたにつけて)」のカテゴリーで書きました。同じカテゴリーの過去記事は下からご覧になれます。

●「国境なき医師団」のかたたちに声をかけてみた。駅前で。日本文化を考えるきっかけとして。いち寄付者として。(小山ケイ)

まえまえから、駅まで国境なき医師団のかたたちが募金を募る活動をされているのは目にしていました。

そのたびに私は、

「いつも寄付させていただいてますよ」

「応援しています」

「クレジットカード会社から自動引き落としになるように設定しています」

「いつもありがとうございます」

と言い続けてきました。

ただし、心の中で。

でも、あるときになぜか思ったのです。

「私は微力ながらも長年寄付をつづけてきた寄付者なのに、それを募る活動を該彼女たち彼らにサポートしている気持ちをどうしてじかに伝えようとしないんだろう?どうしてこうして素通りしてるんだろう?」

そしてさらに、こんなふうにも考えました。

「アメリカ人だったらここで、自分の気持ちを言葉にしてしっかり伝えるだろうなぁ。彼らに走り寄って、肩とひじにしっかりと手を添えて、抱擁するかのようにじっと目を見ながら、『がんばってくださいね。いつも応援しています!I’m always with you, and thank you guys for doing this!って、しっかりとした声で、「誰が何と言おうと、私という個人はあなたたちをいつまでもサポートします」って気構えで行動するんだろうなぁ」

日本人の奥ゆかしさ、と言ってしまえばそれまでです。

以前私は、このブログで「低コンテキスト文化vs.高コンテキスト文化」と題して記事を書きました。

素通りしている私は、こんなことを感じていたようです。

★自分の気持ちを外に向かってつねに表現することに違和感を感じる。

★「言わなくってもわかるよね」とどこかで思っている。

★自分のしていることや信条を「ほかの人が見ている前」で表現することに違和感を感じる。

★寄付活動そのものが日本ではそれほど一般化しているようには思えない。よって、それをしている私は「かわりもの」と思われるかも。街中の人にも。そして「国境なき医師団」の広報活動の人(アルバイトの人を含めて)にも。

●そして、声をかけてみた。広報活動担当のかたの反応。

さいしょは「新興宗教の活動かな」(笑)と私は素通りしました。

通り過ぎる瞬間にちらっと見ると、赤いジャケットの胸元に「国境なき医師団」と日本語とフランス語で書かれています。

その言葉の意味が私のなかでヒットします。

そして、いつも思っていた「素通りする私への思い」が。

よし。

今日は引き返して声をかけてみよう。

若い女性ふたりが目につきました。

そのうちのおひとりで、道を通る人に声をかけていた人に私は声をかけてみたのです。

通り過ぎるときに目が合ったので、そんな人間が再度ひきかえしてきて「ん?」という顔をしています。笑

「ああ(とほぼ、大きなため息)国境なき医師団のかたたちだったんですね」と、私。

そんなふうに声をかけられたことはおそらくなかったのでしょう。

彼女はきれいな大きな目を大きく見開いて、少しばかりこわばった表情をしました。

そんなところもおそらく、日本文化のなかで長年暮らす人だと思えます。

「いつもクレジットカード会社から(寄付金を)引き落としてもらうようにしてますよ。応援してますからね」

ここでようやく、彼女と、少し離れたところで声掛けをしていた女性も私が引き返してきた理由がわかってくれたようです。

笑顔になって、「ありがとうございます!」と言ってくれました。

私は目の前の女性のひじを包み込むように手を当てて、「頑張ってくださいね」と言いました。

「やっぱり言わないと伝わらないこともあるよね」と思いながら。

「私は決して変な人間でも、怪しい人間でもありません」とも思いながら。大笑