今日の記事では、「人間生活においてヒールは花形である」ということについて書いています。
<もくじ>
●「ヒールは花形である」ということは頭にいれておく。
●人生ドリルとして頭にいれておいたほうがいい理由。
●さて。では対処法。
このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事は「徒然なるままにひぐらし。」のカテゴリーで人生ドリルシリーズとして書きました。同じカテゴリーで書いた前回の記事は下からご覧になれます。
●「ヒールは花形である」ということは頭にいれておく。
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昨日、次期米国大統領候補者のトランプ現大統領とバイデン元副大統領のテレビ討論会をYouTubeで約90分、私も観てみました。
★★★★★Quoting from the official YouTube video of CNBC’★★★★★
そののち、日本の報道機関やネットニュースなどでは、「米国マスメディアの反応は『史上最悪の討論会』と不評」と多く報道されました。
とくにトランプ大統領に対してです。
NHKなどは日に何度も、同時通訳さんたちの声がそれぞれ重なるほど、両候補が実際に言葉を遮るように意見を言った様子を流していました。
ワシントンポスト紙やニューヨークタイムズ紙など、知識層のいわゆる「ホワイトカラー」が読みそうな新聞紙の報道を取り上げている日本のマスメディアもあります。
私自身が実際に討論会や日本の報道をみていて思ったのは、「こうやって知識層で社会的なステータスがありそうな米国報道機関が批判的なコメントを出せば出すほど、「ブルーカラー」の人たちはますます、トランプ大統領のように自分の意見を声高に言い続ける人に投票するのだろう」、ということです。
それもかたくなに。
「いっぞー。もっとやれ。おれらのうっぷん、晴らしてくれ」と。
現在の両陣営に対する支持率を見ても大差はありません。
前回のヒラリー・クリントン氏とトランプ大統領の支持率もクリントン氏のほうがじゃっかん優勢でした。
支持率の多い少ないではなく米国の選挙制度を研究しつくして徹底的に行動した側が勝つ。前回私はそれを知りました。
この討論会に対する感想、中西部の工場で働く中年白人男性や失業者に日本のマスメディアが足を使って尋ね歩いてみてほしいと思います。
海外との接点もほとんどなく、生まれてから死ぬまで海外旅行も海外留学もしたことがない人たちがたくさんいるような地域。外国人がほとんどいない地域。新聞なんてほとんど読まない人たちが多い地域。大学を出ても仕事につけない人がたくさんいる地域。
マジョリティ(Majority)と呼ばれる白人ばかりの地域。
Majorityという言葉には「社会での影響力がある」という意味もあるはずなのに、それがまったく実感されないと思っている人がたくさんいる地域。
そこでのインタビュー。
(ちなみに、BBCによるとトランプ氏を支持している「ラストベルト」の中年白人男性たちは、米国の中でも一番、「平均寿命が短い」のだそうです)
私が画面を見ればみるほど感じたのはこんなことです。
★トランプ氏は「ヒールが花形である」ということを直感でよく知っている。
★人を動かすのは知識や知性ではない。感情である。
★「声の張り」は重要である。
ヒールが花形なのは米国だけではない。
日本のテレビ番組でも、論理性はむちゃくちゃでも大声でモノを言う芸人さんや芸能人がもてはやされます。「やらせ」があるとも言われている。
いい年こいたおじさんたちが小難しいことを飛沫拡散させながら言い合う番組では、「まともで冷静な人」よりも「他人の意見に途中で口をはさむけんか腰の人間」がレギュラー入りしやすい。
格闘技のヒールが花形なのと同じです。
私が青学のビジネスクールへ通っていたときもそうです。
小山ケイ過去記事】何かを生み出すことが目的の会であれば、反対してはいけない。
「反対し続ける人間が一目置かれる」「他人の話のコシを折ってでもモノを言い続ける人間が注目される」ということを私はこれまでさんざん、経験してきました。
だからこそ、昨日の討論会を観ていて思ったのです。
「ヒールは花形である」。
●人生ドリルとして頭に入れておいた方がいい理由
人間が作るこの世の中でよりよく生きていくために、「ヒールは花形である」ということは頭に入れておいた方がいい。
それが人心掌握につながったり、他人の意図に振り回されることから回避できたり、高次の目的へと自分やその場を軌道修正させたりできるからです。
ときには意図的にヒールにならざるをえない場面もあるかもしれない。
この世はものわかりのいいひとばかりではないからです。
昨日の討論を例にだせば、たしかにトランプ大統領のほうが感情をたぎらせてバイデン氏の話の腰を折りながら反対意見をさしはさむ場面はたくさんありました。
バイデン氏がそれに応戦することをやめ、数秒、討論会に「不思議な沈黙」が訪れたことすらあります(あの沈黙は偶発的で私もあれっと思いました)
バイデン氏は弁護士さんらしいシンプルで巧みな言い回しを多用されていた。ときおりテレビ画面に目線と姿勢をしっかりと向けて、「向こう」にいる視聴者(「陪審員」)に語り掛けながら。
印象でいったら、バイデン氏は正統派、そしてトランプ氏はまさにヒールです。
でも77歳ということもあるのでしょう、バイデン氏の「声」がときおりかすれたり張りが感じられない場面がありました。その瞬間、私は申し訳なくも「やはり高齢者なのだ(体力の衰えがある)」と感じてしまいました。
同じく70代でありながら、「とんがった10代」のように大声でむちゃくちゃに反対し続けるトランプ氏に私が力強さ(生命力)すら感じたのとは正反対に・・・。
日本の政治でも「劇場型になっている」「ワイドショー化」などと揶揄されることがあります。悪役と清純派スターのような役割があって。
格闘技にヒールという役割がなぜいるのか。
人はそこに、生命力や「我が道を行くかっこよさ」、いっけん「正しい」と言われているものにまっこうから反対する大胆さ、自分でルールを作ってしまうリーダーシップ(俺が正しいと言ったら正しい。俺がルール)を無意識に感じるのだと思います。
それが、人間の世の中でも「ヒール(反対意見を言い続ける人間、声のでかい人間、人の話のコシを折ってでもモノを言う人間)が注目される」ということなのです。
●さて、では対処法。
1) 「ヒールは注目されるものである」ことをまずは受け入れる。
2) 自分があえてヒールになる必要はない。
けれど、話し合いや討論の場で「ヒール」らしき人間を見つけたら、その「意図」は客観的によく理解しておく。「自分に注目度を集めたい」「自分に華をもたせるため」
3) 理不尽、大声、執拗な反対意見。
相手が「ヒール」になりたがっている証拠である。かき乱される必要はない。
4) ヒールに正論をぶつけても効かない。
取る道は二つ。「自分もヒールになる(むちゃくちゃを言う)」か「相手にすばり、その意図を指摘してやる。『あなたがヒールになって注目されたがってるの、見え見えですよ』」。
5) どうしても注目されたり意見を通さなければならないとき。
そのときははじめて、自分もヒールになってみる。
反抗期の子どもに対して。ものわかりの悪いがんこものを説得しなければならないとき。社会的な行動のために自分が注目されなければならないとき(衰退する産業に世の注目をあつめなければならなかったり、募金活動、人助けなどなどで)
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