小山ケイの人生ドリル94 – 「違う世代」を意図的に意識する。See other generations.

浅草雷門(東京)

今日の記事では、「他の世代を見てみる。それも意図的に。意識して」いうことについて書いています。

<もくじ>
●「違う世代」を意図的に意識する。
●「他の世代」を意識するということ。
●他の世代を意識的に知ろうとする態度は、「自民族中心主義」を抜け出して他の民族や国家とどう共生していくかをさぐる過程に似ていると思います。

このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事は「徒然なるままにひぐらし。」のカテゴリーで人生ドリルシリーズとして書きました。同じカテゴリーで書いた前回の記事は下からご覧になれます。




●「違う世代」を意図的に意識する。

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「世代」と聞いて感じる幅はひとそれぞれかもしれません。

私の場合は自分の年齢を目盛りのまんなかにすると、上下合わせて「5歳ぐらいの幅」が話していて「あ、同世代だわ」と感じることが多い。

前後で10歳くらいの開きがあると、感覚とかその昔はまったもの、流行ったもの、言葉遣い、モノの見方などがだいぶ違うように思います。

見える景色も違う。

もちろん、「世代」と十把一からげにできないこともたくさんある。でも、同世代で感じる共有性はやっぱり捨てがたい。ツーといえばカーと返ってくるような小気味よさを感じることがあるから。

だからこそ、他の世代も見てみる。人生ドリルとして。

違う世代のことを意識してみることの何がいいかというと、「社会」は違う世代がたくさんいるということが分かるのと、その人たちとどう折り合いをつけていくか、接点をさぐる糸口が見えてくることです。

あるいは、「世代が違うのだから折り合わなくてしかたがない」とあきらめることもできる。

自分に「なんとかうまくやれ」と無理強いすることなく。

合わないものは合わない。

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今朝がた、ブロードキャスターのPeter Barakan氏によるラジオ番組をいつも通り聞いていてその思いを新たにしました。

ピーターさんは1960年代後半から1970年代中頃までにアメリカで活躍した「ザ・バンド」というロックバンドについて取り上げたのですが、そのグループを知らない人がだいぶいる、ということに驚いているのと、ザ・バンドが活躍していたのがすでに40年以上も前のことである、ということに気づいたご様子でした。

その瞬間、私はおもわずラジオ(のなかにいるピーターさん)に向かって「そりゃそーですよ!ザ・バンドの活躍を同時代並行で知ってるひとたちって、厚労省的には『高齢者(65歳以上)』じゃないですかっ」と年代から年齢を計算しながら私は叫んでいました。笑

(わりと多くの60代半ばの方々が、ご自身が「高齢者である」ということに気づいておられないと思います。そして高齢者批判をする。「近頃の年寄りは」と・・・れれれ???)

彼らの活躍時期におぎゃぁと生まれた人たちですら、すでに私と同じく中年です。会社や社会でばりばり動き回っている中核世代。いわゆる「働きざかり」ってやつです。

私も「ザ・バンド」と言われてなんとなく聞いたことあるよなないよなグループ名、でした。

彼らの曲をピーターさんがかけてくれてようやく、「ああ!この曲のバンドだったんだ」と分かった次第。

★★★★★ザ・バンドのドキュメンタリーが公開されるそうです。★★★★★

 

別の高齢者と話をしていたときも世代ギャップを感じました。

そのかたは「さいきんエリック・クラプトンを見たけど、そうとうじーさんになっててびっくりした。あんなに若かったのに」とのこと。そのかたは1940年初頭の生まれです。

それを聞いたとき私もびっくりしました。

なぜなら、私が物心ついたときに知ったクラプトンは、すでにじーさんだったからです。

「クラプトンにも若いときがあったんだ」と。

若いクラプトンが「オレの女になれレイラ~」と激しく歌っている姿も、坂本教授の「ビハンド・ザ・マスク」をカバーしている姿も、私は知りません。

(レイラはアンプラグドです。私の世代では)

「ザ・バンド」が宝石のような曲をたくさん作りだしたバンドであるのに知らない世代が多くなったことに驚いているピーターさんの気持ちも分からなくはないですが、世代ごとに文化や流行りがあって、他の世代のことを知らないというのは世の常だと思います。

若い世代で流行っていることや大切にされていること、その人たちに愛されているきらめきのような輝きを持つバンドや俳優さんたちについて、ピーターさんをはじめとする高齢者層で把握していない人がいるのと同じです。




●「他の世代」を意識するということ。

1) 横文字カタカナ用語に慣れている世代とそうではない世代。

2) 「自分の世代が特別(良い)」という特別感、優越感を排除できる。

3) 情報源(新聞、テレビ、ラジオ、ご近所、趣味の会、町内会、家族、ネット、SNS、世界中にいる友だち)

4) 生活のリズムに違いがある。

5) 金銭感覚の違い。

6) 優先順位の違い。

7) 政府に対する態度。

8) 着るもの。

9) 見た目。髪型。

10) 環境に対する思い。




●他の世代を意識的に知ろうとする態度は、「自民族中心主義」を抜け出して他の民族や国家とどう共生していくかをさぐる過程に似ていると思います。

Stumptown Coffee Roasters

「世代間憎悪」なんて言葉がありますが、他の世代の事情をさぐろうとしてみたり、他の世代に思いを寄せてみることでもそれがやわらぐこともあるでしょう。

このブログでも以前書きましたが、人文科系の授業でならうのが、「自国の世界時図は万国共通ではない。自分は世界の中心ではない。もちろん相手もしかり」ということです。

自民族中心主義の象徴として、「各国の」世界地図がよく取り上げられます。

規模は違うかもしれませんが、同じ国に住むほかの世代についても同じことがいえると思います。

★社内にいる他の世代と組織としてうまくやっていこうとする場合。

★家族内にいる他の世代とできるだけ歩み寄りながら過ごしたいと思う場合。

★町内にいるご隠居とうまくつきあいたいとき。

★パート先の学生さんたちと潤滑に仕事をしたいとき。

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