若いうちからあらゆることを意識的に経験した人でなければ、「中年の価値」は出ない、と私は思います。

銀座の服部

今日は、私が思う「中年の価値」について書いています。
●若いうちからあらゆることを経験しとかないと、
中年になったときに「価値ない人(用済み)」あつかいされるかもしれませんよ。
●老害扱いされないために。
昨日は下の記事を書きました。



●若いうちからあらゆることを経験しとかないと、中年になったときに「価値ない人(用済み)」あつかいされるかもしれませんよ。


★★★リクルート社の英会話アプリです★★★

[the_ad id=”11588″]

少し前、友人たちと食事をしたとき、会社員である彼女たちとこんな会話をしました。

「定年退職の年齢っていつぐらいなの?」

「いまはたしか、少し伸びてるけど、そこまで勤めてる人、いないよ」

「え」(と、私)

「みんな50歳ぐらいを境に辞めてく。50過ぎまでうちの会社で働いてる人は、ほとんどいないね」

友人たちは大手外資系企業に勤めています。

「辞めてなにやってるの?」

「投資したり、セミリタイアみたいな生活かな。うちの旦那さんも投資で月20万以上稼いでるんだよ~」

「へぇ、そうなんだ」

その友人のご主人は日系企業に勤務していたのですが、やはり50代で早期退職しています。外資系を中心に、企業の現場は確実に、若返っているというのが私の感触です。

さいきん、随所でよく目にするのは、中年の企業人が早期退職を迫られたり、「中年社員はいらない」みたいな記事。

企業人をとっくに辞めてる私(とはいっても、自分で15年も前に創った会社にはいちおう、税法上は雇われていることになっていますが)は蚊帳の外にいるようなものなので、「大変だ」と同情しつつ、あれこれ思いを巡らせています。

私も中年です。中年受難の時代ですね。でもいままでの時代が良すぎた。いまの若い人たちは就職氷河期も経験していますし、生まれた時からすでに生活はスマホ。

IT慣れしてるし、SNSや動画サイトをばんばん利用してひとりひとりが表現者だったりする。競争相手には外国人がいたり、一生懸命働いて貯めた預金に対する金利だってほぼないようなもの。私が新卒入社したころの金利は数パーセントがあたりまえ。しかも私は銀行員。

ボーナス当日、会社の社員専用信託預金口座に全額、どーんと振り替えると、8%前後の金利がつきました(記憶違いでなければ)。

年功序列や終始雇用という言葉が走り去るその後ろ姿ぐらいは見ている世代が、私の世代です。

なにもしなくてもとりあえず会社においてもらえて、下の人たちよりはお給料もよくて役職も良い、という時代や先輩社員たちを知っている。

でももう、それも終わりなのだとつくづく感じます(それが良かった、と言ってるのではなく)。

年齢が上だというだけで役職者づらされたり物知り顔されたりしても若いひとも迷惑だと思います。企業だって固定費である給与だけはやたら高い中年以上の年齢の人間にいてもらうより、「10人分の仕事を安い給与の若い連中8人にやってもらって、9人分の給与を出す」ほうが得策なのは当然でしょう。

ちなみに、この例え方は某関西系財閥S社の全社に共通する理念、として私は若いころに人から教わりました。笑

地方政治家だって、じーさんにやってもらうよりも、ばりばり体が動く若手にやってもらったほうが、地域住民全体の足となって駆けずり回ってくれます。国政はまた別ですが、地方政治は小回りが利いてへんなプライドがない若者にやってもらうほうがいい。国政とはまったく逆で。

新宿のビル

では中年の価値とはなにか。

若いうちからどれだけ意識的にものごとを経験してきたか、どれだけあらゆることに精神と魂を丁寧に注いできたか、ということに尽きるように私は思います。

というのも、若くて頭も良くて「できる」ひとに対して、私のような中年がゆいいつ秀でていると思えるのは、経験の差、だからです。

だから、惰性で生きてきてカレンダーが進むにつれて中年になりました、というひとは残念ながら、「中年の価値」にはあてはまらない。世の中には、計算式や頭の良さだけではどうにもならないことがあります。

たくさんのことに心血注いで真摯に経験してきた人であれば、必死の試行錯誤から自力で得た経験をもとに人間関係のやりくりもうまくいく可能性があります。

人心掌握にすぐれていたり、「部下のまえでわざと自分の頭のねじを一本外してみる(俺よりおまえのほうができる!)」ことの重要性を理解してたり、自分の弱い部分をさらけだせたり、悩んでいる部下に心を寄せられたり、ひとつ叱ったら二つ褒めたり、それも「叱るときは人のいないところでこっそり、褒めるときは大勢のまえでド派手に」が鉄則、ということも十分に認識しているはずです。

さくら

●「老害」あつかいされないために。

「老害」なんて言葉があります。私も老害にむかっぱらをたてているひとり。なので、自分を含めて中年なお仲間が、さらにその先に進んだときに社会や若者から老害扱いされないために、いや、それだけではなく、「ぜひいてください。教えてください」と言ってもらえるようになるにはどんなことが大切か、今日はこれまでいろいろ考えたことを書いてみようと思います。

惰性で生きてきたというかたは、手遅れにならないうちに危機感を持ってがんばりましょう。

 

1)まず大前提は、あらゆることに精神と魂を丁寧に注いで経験しておくということがあります。

言い換えると、意識的に経験をする

ものごとから逃げない。もうそろそろ老人、というひとにはなかなかつらい修行かもしれませんが(?)、よく言われるように、思い立ったが吉日です。

2)分をわきまえた若い人たちは年齢が上の人間は敬ってくれます。

それに甘んじてはいけない。それを当然視してはいけない。敬ってくれるのは、自分がすごいのではなく、分をわきまえている相手が礼儀正しいことの証(あかし)です。

その証拠に、尊大な若者は、こっちの年齢が上であろうと、尊大に接してきます。笑(たいどでけぇーぞおまえ)

3)自分と年下の人たちとの違いは、経験という年輪のようなものだけであるということをよく理解する。ただし、だからといって経験を侮ってはいけない。

経験のすごいところは、その「値」が指数関数的に増えていく点です。これが、経験値と呼ばれるものです。経験値は綺麗な右肩上がりの直線ではありません。ゴルフや英語の習得と一緒です。

スコットランド・
Old Course in St. Andrews, Scotland (UK) photo by Kay Koyama

4)経験している最中、

つねに頭を働かせる。頭を使う。想像力を使う。それによって、経験値がさらに増します。人から与えられた、受動的な経験ではなく、能動的な経験となるからです。経験していることに対して正面から向き合えるからです。

まだまだ続きます。笑

[the_ad id=”11588″]