小山ケイの人生ドリル73ー「私はできる(できた)」と暗示をかけてみる。それが現実化します。Strong feeling, “Yes, I can do it,” actually realizes what you will do.

今日の記事では、人生において「私はできる(できた)」と暗示をかけることの重要性について書いています。

<もくじ>
●「私はできる(できた)」と暗示をかける。
●では、どうやって「私はできる(できた)」という信念を生み出すか。

このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事は「徒然なるままにひぐらし。」のカテゴリーで人生ドリルシリーズとして書きました。同じカテゴリーで書いた前回の記事は下からご覧になれます。

●「私はできる(できた)」と暗示をかける。

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「私はできる(できた)と暗示をかける目的は、それを現実化させるためです。

私は翻訳者としてはフリーランスのときも含めて約20年ほど活動しています。

そのなかで、「私はできる(できた)」と暗示をかけることで、そのときに望む状態をつねに達成してきました。

一番顕著なのが「納期」です。

翻訳の工程はクライアントからご依頼いただく中でも一番最後の作業であることが多い。

具体的には、「これこれこういう業務が発生するのですが、この最後の翻訳部分をコヤマさんにやっていただきたい」というもの。

エージェントに属している翻訳者さんなら、「翻訳」だけが切り取られた状態で仕事をされることが多いと思います。けれど、クライアントと一緒になって案件の初めから関わったりコンサル業務もお受けしているような私(あるいは弊社)のようなところには、仕事が発生するまえに「どんな流れで仕事をお願いしたらよいか」というところからご相談いただくことも多いのです。

まさに、クライアント様と一緒に走ってるかんじ。

そうすると、案件が実際に発生してから、「前の工程がしばし押してます。翻訳のご依頼までいましばらくお待ちください」となることも多々あります。

それでいて、納期は最初から決められている。笑

「いついつまでにはすべての業務を終えているようにしたいんです」と。

そうなると、しわ寄せが来るのは(お分かりのように)最後の工程である翻訳作業です。超特急で仕上げることが無言の圧力のようにしてクライアントから込められることとなる。

もちろんこちらでもそのたびに「これ以上、原稿をいただくのが遅くなってしまうとこちらの納期にも影響がでてしまうかもしれません(よ)」と軽くボディブローを与えはするのですが、いかんせん、クライアント側も手探りでやっていることが多い。

文楽のポスターBunraku

こうしたことは何度か経験しました。そのときに大いによりどころとしたのが、これまでの勘と「大丈夫。私はできる。本当にできた」という強い気持ちです。

そして実際にそれをよりどころとしたせいか、納期に遅れたことは一度たりとてありません。

ほぼ徹夜のような状態で作業をしたこともあります。けれど、最初に原稿を頂くときに「大丈夫。いける」と根拠のない自信のようなもの(?笑)をそれまでの「勘」を頼りに感じたのであれば、絶対に納期は守って納品させました。

長年の勘を頼りにするのは「これ以上原稿を頂くのが遅れると納期には間に合わない」という落としどころをさぐるためです。

間に合わない、と思えばこちらが受け取るはずの原稿がクライアント側で遅れているときに先手先手で伝え、その分、翻訳は仕上がったところから随時細かく納品していく、というような代替案は提示してきました(「原稿を頂くのが遅れる分、納期を少し伸ばしてください。ただし、こちらでもきりのいいところから随時、仕上がった部分をお送りしますので」)。

そして、いったん原稿を受け取ったら、そこからはひたすら「自分はできる」という強い気持ちをロープにして「納期」というゴールテープ付近の杭にしっかりとくくり付けましたね。

スタートした翻訳中はそのロープをじわじわとたぐり寄せるような感覚です。

「私はできた」という、すでに完成した状態をどこかで信じ切っていたともいえます。

●では、どうやって「私はできる(できた)」という信念を生み出すか。

OBOGあてに定期的に送られてくる会報。

なにもない状態から根拠のない「私はできる」という強い自信を生み出すことは大変だと思います。

そこで大切になってくるのがやっぱり、「経験を積む」ということ。

仕事以外でもたとえば習い事の発表会であれば、本番までに何度も何度も練習をする、ということが「経験を積む」に匹敵します。

プレゼンであれば、何度も何度も練習したり、同僚やクラスメートに取引先の役や観客役をやってもらって感想を聴いたりする。

経験を積んでも緊張したり自分を疑ったりすることはもちろんあります。

けれど、私がこれまで何度も何度も経験したことですが、しつこいくらいに、いやになるほど、経験を積んだことは、極限の状態では不思議なほど自分の精神を支えてくれます。

科学的な理屈はわかりません。

おそらく、はじめは顕在意識の領域でやっていたことが、何度も何度も経験することで自分の潜在意識の領域にさまざまな知恵や知識、コツ、裏技として根付き、それがしらないうちに自分の信念の土台となってくれるのかもしれません。

「私はできる」と。

横浜港

1) とにかくやってみる、経験してみる。

→ 習い事でも仕事でも雑務でも、経験してみる。人間関係もしかりです。

 

2) 最初は根拠のない「私はできる」でもいい。

→ 若いうちほど経験を積んでいないことも多いと思います。だから、無理やり「私はできる」と思わざるをえないこともあるでしょう。でもそれでうまく行っても失敗しても、それを繰り返すことで自分の意識を超えたところでさまざまにやりかたが分かってきます。

 

3) 経験をたくさん積めば積むほど、「勘」が生まれる。

→ 2)に通じます。理屈やアタマをこえた能力が備わります。

 

4) 失敗も経験のうち。

→ 失敗するから成功するためのコツがわかるのです。

 

5) 「勘」と「私はできる」を連動させる。

→ 学校ではなかなか教えてくれないことです。ここでさらに経験が生きてきます。アタマじゃないです。

 

6) 力まない。

→ なんとなく、がコツです。ゆったりとした気持ちが自己暗示をさらに促してくれます。

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