小山ケイの人生ドリル92-「習慣化」について考えてみる。Routine-like repetition

今日の記事では、「『習慣化』について考えてみる」ということについて書いています。

<もくじ>
●「習慣化」について考えてみる。
●確認方法。

このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事は「徒然なるままにひぐらし。」のカテゴリーで人生ドリルシリーズとして書きました。同じカテゴリーで書いた前回の記事は下からご覧になれます。

●「習慣化」について考える。

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「習慣化」と日本語で言うとき、こんなことが暗示されると思います。

■継続性

■くせ

■傾向

■文化

■慣れ

■ルーティン

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ひとつひとつみてもわかるように、それぞれにメリットデメリットがあります。

「人生ドリル」として、「習慣化には良いことも悪いこともある」と思っていると、自分の人生を自分が思うように動かしていける割合が高くなります。私の実感です。

だから、常日頃から自分の行動を確認してみる。

「習慣化していることに乗っかっていないか」

「惰性で流されていないか」

「過信していないか」

「成長をとめていないか」

「貪欲に吸収することをやめていないか」

習慣化=あたりまえ、という当然視があります。

たとえば、大変な作業や勉強を習慣化してしまえば、自分にとって「当たり前」となってその作業や勉強に対する苦痛が軽減されます。

英会話の習得しかり。

アスリートのアップしかり。

大変な作業や勉強を習慣化することで得られることは、自分にとってプラスになること。

英会話だったりより早く走ったりスタミナをもって走ったりすることかもしれない。

反対に、習慣化=あたりまえ、だと思ったばかりにおもわぬことを引き寄せてしまうこともあります。

人間関係で、他人や家族が好意によっていつもしてくれていることを「当然視」したばかりに、自分のまわりから人がはなれていったり協力してくれるひとがいなくなったり。

渋谷の工事現場

ビジネススクールでクラスメートの好意を当然視しつづけていると、自分とグループワークをしてくれる人がいなくなり、その授業の「グループワーク」という課題がこなせない事態に陥ることもあるでしょう。

あいさつ、笑顔、声がけ、配布資料の確保、などなど。

浜松町のビル

人がしてくれる習慣的な好意は自分にとっては小さく見えてしまうこともあるかもしれない。

習慣化という「当然視」は苦労を感じなくなるという利点があるいっぽう、感謝すべきことや疑うべきことを忘れたり怠ったりするという負の側面もあるということ。

だから、「習慣化を立ち止まって確認する」ことが大切になってくるのです。

●確認方法

1) 他人がいつもしてくれていることをよく見る。

実は労力がいることかもしれない。

自分はそれに応えているか。

ぶっきらぼうにあしらっていないか。

自分も笑顔で挨拶しているか。

日本のかわいい道路工事標識

2) 苦痛を伴うことで習慣化させてしまえることはないか。

例:英語の音読。練習。

例:基礎練習。

日々、「あたりまえのこと」となるように習慣化させる。

青山一丁目

3) 他人の習慣化を確認する。

組織の中にはいるとき。

その組織に「習慣化」されていることが多い場合、それにそぐわない行為は敬遠される傾向にあります。

4) 道順を確認する。

「いつも通っているところだから」で当然視してしまうと、おもわぬことに直面してその「いつものルート」が使えないことがあります。

★道路工事

★渋滞

★新しい規則

★事故

通行止めの標識

5) 自分が習慣化させていることで、自分の成長を止めていないかどうか。

★刺激(知的、文化、娯楽、外的環境)への反応の鈍化。

★精神鍛錬をやめている可能性。

★考えることをやめている可能性。

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