今日の記事では、母校の青学から単位をもって米国オレゴン大学へ編入学して卒業し、15年以上に渡って「サステナビリティ・ESG・気候変動」などに特化した専門翻訳会社を経営しながら再び青学(大学院)へ戻ってMBA(修士号)を取得した私・小山ケイが、私が卒業した「青山ビジネススクール(青学の社会人大学院)」でMBAをとったことについて書いています。
●私がMBAをとろうと思い立ったわけ。
●専門職大学院としてのビジネススクール。
●私が入学したころの提出書類や受験内容。
●私が母校・青山学院のビジネススクールを選んだ理由。
●私がMBAを取ろうと思い立ったわけ
私がMBAを取りに母校・青山学院(渋谷区渋谷)へ戻ったのは、今から約10年ほどまえです。それまでの私は、プロフィール欄にも記載のとおり、経済学・経営学とはまったく無縁の学際的な勉強をしていました。
でも、自身の事務所を会社法人にしてから5年目、いちど腰を据えて経営について体系的に勉強したいと思い立ちました。「直感」や「勘」と合わせて、左脳をうんと鍛えて、「敵を知りたい」。ひとことでいうと、そんな感じでした。
電車のなかではよく、30代、40代と思しきスーツ姿のビジネスパーソンたちが、タイトルの一部に「MBA」と付いた本を読んでたり、私が会員登録をしている会員制図書館では、米国ビジネススクールへ入学するための試験であるGMATの参考書を勉強している若い人が何人もいたりします。
このカテゴリーでは、働きながらMBAを取るとはどういうことなのか、私が苦労したことや最新のこととして聞いたこと、調べたこと、青山ビジネススクール(ABS)の例、友人・知人が別の学校で取得したMBA、海外でとることと国内でとることの違い、教授から聞いた話など、いろいろなことを記してみたいと思います。
●専門職大学院としてのビジネススクール
MBAというと海外で取得するイメージが日本では強いように思います。私が取得した青学MBAは、文科省では「専門職大学院」というくくりになっています。
文科省のサイトで調べてみると、専門職大学院は“Professional graduate school” と英訳されていて、平成15年(2003年)にその名の通り、高度な専門性を持つ社会人の養成を目的として創設された、とあります。
海外で「Law School」と呼ばれる法科大学院や、会計プロフェッションなどが青学の場合は専門職大学院として設置されています。
青学MBAコース(Aoyama Business School)の正式名称は、青山学院大学大学院国際マネジメント研究科です。私が入学した約10年前は、「3年以上の社会人経験があり、入学時も企業や組織等に所属していて、仕事と両立させながら、平日はおもに夜間のコース(Flexコース)を受講する学生」という「Flexコース」の募集があり、私はこれに当てはまったので応募しました。
ちなみに、私が入学したころはすでに、学部を卒業してすぐの人や、現在は無職という人のための、「Full time」というコースも設置されていました。こちらは23歳ぐらいの若い人がとても多いコースです。社会人経験のない人が大半をしめていたと記憶しています。
すこし脇道にそれますが、Full timeの学生には申し訳ないけれど、Flex timeの学生の魅力はなんといっても、その圧倒的なビジネス経験にあります。Full Timeの学生はいわゆる「勉強ができる子」がとても多かったのですが、現場をたくさん経験して、机上の空論ではなく、経験値と実践・実績に照らして話すFlex timeのビジネスパーソンの発言には大きな説得力がありました。
教授のほうがたじたじになる、なんて場面もなんどか。
もちろん、青学MBAコースの教授陣は、豊かなビジネス経験を有している先生が青学内の他の学部や大学院研究科と比べても多いのですが。(マーケで飯食ってる、なんて学生がマーケの先生に食って掛かることはよくありましたね)
●私が入学したころの提出書類や受験内容
提出書類は、名前や住所などを記した個人情報関連の基本的なものと、大学の卒業証明書と成績証明書、企業や組織の在籍証明書、「私が志望する理由」という作文、推薦状2通(任意)でした。
私が入学して何年かしてからは、学部卒の資格がなくてもある一定の基準を満たすと入学が許可されるようになったそうです。
試験は面接だけでした。
私の場合は、米国大学卒業の証明書と成績表を提出していたからでしょう、面接官のおひとりがアメリカ人教授という組に振り分けられ(面接教室は4,5個あったと記憶しています)、他の2人の教授も米国大学院を卒業されているなどで、みなが英語に堪能でしたので、
アメリカ人教授の英語による質問を皮切りに、途中から日本語ではなく英語による面接になってしまいました。笑(面接は3:1で緊張しました・・・汗)
入学前のペーパー試験はいっさいありません。
実際に入学して、ある教授が、「MBA(の授業で)は手をあげて発言してなんぼ」とおっしゃったことがあります。私はとても共感しました(ネットでいう「禿同」ですね。笑)。
机上のペーパー試験に強いだけではMBAコースではハイスコアは望めません。でも、ビジネスの現場で丁々発止のやりとりをいろいろなかたとされているかたならお分かりになると思います。
ペーパー試験に強いことは、ビジネスの現場ではそれほど力を発揮しない。それが発揮できる機会は、多くのビジネスパーソンにはあまりない。研究職でもないかぎり。
むしろ、人と交渉したり、相手の話を聞いたり、相手の要求を理解したり、自分の要求を相手に不快な印象を与えずに伝えて理解してもらったり下に気持ちよく動いてもらうための策を講じたり、上に直訴したり、なんてことのほうが大半を占めているはずです。(プレゼン、会議、営業、それらすべてを含めて)。
私も小さいときから口だけは達者だったため(笑)、授業で手をあげて発言しつづけました。その結果、授業に参加していた学生時代はまったく自身の成績は確認しなかったのですが、卒業する間際になって、「そういえば、単位を落としている授業があったら大変」と成績を入学後はじめて確認してみると、ほとんどの授業のスコアがA(優)かAA(90点~満点)となっていて驚きました。
米国大学のスコアのつけかたとまったく同じだったことも幸いだったのだと私は思っています。米国の大学でさんざん、鍛えてもらったからです。このあたりはまた、日をあらためて書きます。
●私が母校、青山学院のビジネススクール(国際マネジメント研究科)を選んだ理由
青学を選んだ理由は、母校であることももちろんですが、学部の学位を海外(米国)で取得している私にとって、海外留学は「いまさら」という気がして海外ビジネススクールでMBAを取得する選択枝はまったくありませんでした。
そのほかには、授業が夜から行われていること、学費がリーズナブルだったこと、(一時は出願を考えた某校KOの二分の一でした)交通の便が良いことなどがおもな理由です。
なかでも大きな魅力だと思ったのは、社会人学生が100名近く集うという点。それも、一学年で。他校では20名,30名の募集、というところもあります。
100名は一大組織です。私が学生オケをしていたとき、部員は約80名。まとまるのに大変だったこともあるけれど、集団がもつパワーと意見の幅、多様性は小さな組織や個人では得られないダイナミズムがあります。卒業後の人脈としても大きい。
たくさんの深い経験を有したビジネスパーソンが100名近くも一堂に会する、と考えると、これはお金を払ってでもその一員になるべきだ、と私には思えたのです。
実際に入学してみると、場所の良さもあり(JR、私鉄数戦、東京メトロ数戦が利用できる渋谷駅からは徒歩15分、銀座線、半蔵門線、千代田線が走る表参道駅からは徒歩10分の距離です)丸の内や大手町、新宿、六本木などに位置する、日本経済をけん引する日系・外資の一流企業から学生としてビジネスパーソンたちが集まってきていたのはやはり圧巻でした。
(大学はKOだのW田だのを出ました、なんて人がゴロゴロいて、10代で入試を拒否したチンピラな私が果たして彼らと一緒に授業を受けてついていけるんだろうか、とさいしょのころはとても不安でもありましたが、授業が進むにつれて、秀才な彼らの意見に刺激を受けることもたくさんありました。また詳しい授業内容や科目についてはこのカテゴリーで書いていきます)
50名前後が入るひとつの教室が、グレーや紺のスーツを着た30歳ぐらいから40代前半ぐらいの若きビジネスパーソンたちで埋め尽くされる光景をちょっと想像してみてください。
そのなかに、いろとりどりのフォーマルな服装の女性たち(私を含む)や、ものすごくラフな格好のいかにも「ドットコム」ベンチャー企業な若者がいたりで、それぞれが開始時刻に合わせてさっそうときて着席する、あの授業が始まる瞬間の雰囲気が私は大好きでした。
次回以降は、授業のことを中心に書いてみようと思います。(文科省のサイトに、「専門職大学院一覧」があります。こんなに認可されてるんですね。ご参考までに)
http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/senmonshoku/1388009.htm
“MBA取得のために母校青学「ABS (Aoyama Business School)」を選んだこと(1)” への336件の返信
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